書こう、書こうと思っていたのに、ついつい後回しにしていた、1か月以上前のお話しです。
20年前、オベロイと同じく、癒しの場所だったニュー・デリーのハイアットホテルのイタリア料理屋さんへ行ってきました。
ハイアットのイタリアンLa Piazza
当時、何度通ったろう…。
私が来たばかりの頃は、インド初の日本の本格的お魚屋さんTaigaはまだ無く、もちろん、まともな和食屋もなく、生々しいお刺身に近いものと言ったら、ここのイタリアンのカルパッチョくらいしかなかったのです。
日本から帯同でいらしたばかりで、インド・パワーに踏みつけられ、インド人に対する猜疑心でいっぱいになっているインド新米奥さまの、不安・不満ぶち撒け(私もやった)と、女ならではの妻にしか分からない思いへの共感、その対処法を伝授といった光景が繰り広げられるのもここでした。
そして、ランチで食べ放題だった大皿に盛られたカルパッチョは、お皿が空になるとすぐに新しい大皿が出てきて、思わず頬が緩み、癒しと、負けるもんかエネルギーを得るのに、充分な一品でした。
またいつも、イタリア人のシェフが厨房に立っていらして、カルパッチョだけでなく、本格的なイタリア料理と、面白イタリア料理が頂けました。
La Piazza入り口
La Piazza、1994年開店。このお店が出来た時、イタリア人は非常に喜んだかもしれませんが、日本人社会においても事件級にすごい出来事だったと確信します。何故なら、1997年に初めて私がインドに来た時に持ってきた「ご挨拶お土産」が卵とレタスで、La Piazzaが開店して数年経ったその時でさえ、生のレタスが貴重だったのです。
因みに、全てのイタリア人が生肉をさほど有り難がたがるわけではなく(私はカルパッチョ好きのイタリア人に出会ったことがない)、カルパッチョは北イタリアに限定されたメニューです。
だから
「生肉と、生のルーコラと、パルミジャーノがふんだんに使われたカルパッチョが好きなだけ食える!」
という、この時の邦人の喜びの大きさは、イタリア人のそれを超え、また、私の想像を超えていたでしょう。
また、色んな選択肢が背景にあれば、インド料理はトライしがいがあり、とても美味しいのですが、「自力で食材を手に入れなくてはインド料理以外のものは食べられない」となると、途端に連日連続スパイスが、舌に、胃に、厳しく作用してしまうものです。La Piazzaができる前の駐在生活は、どんなにか大変だったでしょう。
「いやあ、ここが出来た時、みんな、ほんっとに嬉しかったろうなあ」
と、お店の看板の前で、夫としみじみ話し、暫しジーンとしてから入店。そして、店内は20年前と全く変わらないLa Piazzaでした。
懐かしい〜。
懐かしいLa Piazza
このパン
当時とおんなじ!!!!
その頃も、シェフが変わるとメニューが少し変わったりしましたが、この最初に出てくるパンとソースは変わらなかったのです。あれから20年。まさか同じパンが食べられるとは。インド料理もイタリア料理もクミンを使うから、当時のシェフが伊印が仲良く美味しくなるものを創作したにチガイナイ。これぞお店が作った創造と伝統。ああ、プロはすごいナア。
この度デカイサイズの胡椒ミル(上手に全体像が撮れなかった)も変わらない〜、と言いますか、
「あっ、そうそう、そうだった!」という感慨です。
カルパッチョも変わらない味。
当時は、ランチで食べ放題を、お皿にモリモリにしましたが、今回は頼んだ一皿を2人でシェア。あの頃のお互いの食欲も懐かしいです。
定番イタリア料理
初め、昔ここで頂いたものは、カルパッチョと、赤葡萄酒しか覚えていなかったのですが、食べているうちに、ここのお料理が、正統なイタリアスタイル(おそらく、北イタリアベース)で美味しく、色んなメニューを食べたことを思い出しました。
フルッティ・ディ・マーレ。
デリーの魚介が美味しいから、イタリア風海のもののフライも美味しい。
トルテッローニ。
外でイタリア料理を頂くときは、やっぱり、家で作るのはメンドーな、ひと捻りしてあるパスタが食べたいです。美味しかった〜。
定番のラム。美味しかった〜。呑んでしまった〜。
シェアサービスしてもらいました。
何処のお店でも言えますが、インドの給仕さんのカトラリー捌きも、盛り付けも、本当に本格的になりました。そうそう、ワインのサービスもとても紳士的で、ハンサムな給仕さんがお酒を注いでくださるタイミングも良かったです。
夫が頼んだティラミス。
私は甘いものが苦手なので一口だけ(^^)。赤葡萄酒に合いました。
辛口オマケ
ちょっと残念なハイアットのお茶のお話です。
別の日に、ティールームへ行ってみました。ここもとっても懐かしい場所。
ロケーションも、給仕さんのサービスも素晴らしいのですが、ダージリンティはティバック。前にも書きましたが、昔はハイアットクラスのホテルのティールームの紅茶は、必ずポットの中で、茶葉が踊り、その脇には銀の茶漉しが添えられていました。ティバックに使われる茶葉は等級で言えば一番下のダストです。そのダストをチャイに洗練させたインド庶民は天才。素晴らしい。だがしかし、何故、茶器は英国スタイルで供される、インドの代表茶葉・ダージリン紅茶が、高級ホテルと言われるハイアットで、ダストのティバックに成り下がるのでしょう。お茶の質はより悪くなり、値段はより高く。非常に残念です。
コーヒーにはない、「時」を贅沢に楽しむ、紅茶。添えてあるミルクも、お菓子も、茶葉が時間と共に開き、お湯を注ぎ足す度に味わいが濃く豊かになっていくからこそ生きる文化なのに。お店がティーバックを選択したところで全ての関連性を失ってしまう。
自分たちを虐げてきた国の良い文化を残し尊重した寛容の国、インド、インド人。あなた方に、そこを思い出してくださいと、願うのは、数年しかここに居られない外国人の甘い、無責任な感傷・干渉なのでしょうか。夫には、
「ここはインドで英国ではないからネ。
インド人が英国風を望まず、
旨いマサラティや、チャイが有れば良いという考えなら、
それは仕方がないんじゃないか。」
と言われました。
うーーー〜ん。素直に頷けない私です。
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20年前、オベロイと同じく、癒しの場所だったニュー・デリーのハイアットホテルのイタリア料理屋さんへ行ってきました。
ハイアットのイタリアンLa Piazza
当時、何度通ったろう…。
私が来たばかりの頃は、インド初の日本の本格的お魚屋さんTaigaはまだ無く、もちろん、まともな和食屋もなく、生々しいお刺身に近いものと言ったら、ここのイタリアンのカルパッチョくらいしかなかったのです。
日本から帯同でいらしたばかりで、インド・パワーに踏みつけられ、インド人に対する猜疑心でいっぱいになっているインド新米奥さまの、不安・不満ぶち撒け(私もやった)と、女ならではの妻にしか分からない思いへの共感、その対処法を伝授といった光景が繰り広げられるのもここでした。
そして、ランチで食べ放題だった大皿に盛られたカルパッチョは、お皿が空になるとすぐに新しい大皿が出てきて、思わず頬が緩み、癒しと、負けるもんかエネルギーを得るのに、充分な一品でした。
またいつも、イタリア人のシェフが厨房に立っていらして、カルパッチョだけでなく、本格的なイタリア料理と、面白イタリア料理が頂けました。
La Piazza入り口
La Piazza、1994年開店。このお店が出来た時、イタリア人は非常に喜んだかもしれませんが、日本人社会においても事件級にすごい出来事だったと確信します。何故なら、1997年に初めて私がインドに来た時に持ってきた「ご挨拶お土産」が卵とレタスで、La Piazzaが開店して数年経ったその時でさえ、生のレタスが貴重だったのです。
因みに、全てのイタリア人が生肉をさほど有り難がたがるわけではなく(私はカルパッチョ好きのイタリア人に出会ったことがない)、カルパッチョは北イタリアに限定されたメニューです。
だから
「生肉と、生のルーコラと、パルミジャーノがふんだんに使われたカルパッチョが好きなだけ食える!」
という、この時の邦人の喜びの大きさは、イタリア人のそれを超え、また、私の想像を超えていたでしょう。
また、色んな選択肢が背景にあれば、インド料理はトライしがいがあり、とても美味しいのですが、「自力で食材を手に入れなくてはインド料理以外のものは食べられない」となると、途端に連日連続スパイスが、舌に、胃に、厳しく作用してしまうものです。La Piazzaができる前の駐在生活は、どんなにか大変だったでしょう。
「いやあ、ここが出来た時、みんな、ほんっとに嬉しかったろうなあ」
と、お店の看板の前で、夫としみじみ話し、暫しジーンとしてから入店。そして、店内は20年前と全く変わらないLa Piazzaでした。
懐かしい〜。
懐かしいLa Piazza
このパン
当時とおんなじ!!!!
その頃も、シェフが変わるとメニューが少し変わったりしましたが、この最初に出てくるパンとソースは変わらなかったのです。あれから20年。まさか同じパンが食べられるとは。インド料理もイタリア料理もクミンを使うから、当時のシェフが伊印が仲良く美味しくなるものを創作したにチガイナイ。これぞお店が作った創造と伝統。ああ、プロはすごいナア。
この度デカイサイズの胡椒ミル(上手に全体像が撮れなかった)も変わらない〜、と言いますか、
「あっ、そうそう、そうだった!」という感慨です。
カルパッチョも変わらない味。
当時は、ランチで食べ放題を、お皿にモリモリにしましたが、今回は頼んだ一皿を2人でシェア。あの頃のお互いの食欲も懐かしいです。
定番イタリア料理
初め、昔ここで頂いたものは、カルパッチョと、赤葡萄酒しか覚えていなかったのですが、食べているうちに、ここのお料理が、正統なイタリアスタイル(おそらく、北イタリアベース)で美味しく、色んなメニューを食べたことを思い出しました。
フルッティ・ディ・マーレ。
デリーの魚介が美味しいから、イタリア風海のもののフライも美味しい。
トルテッローニ。
外でイタリア料理を頂くときは、やっぱり、家で作るのはメンドーな、ひと捻りしてあるパスタが食べたいです。美味しかった〜。
定番のラム。美味しかった〜。呑んでしまった〜。
シェアサービスしてもらいました。
何処のお店でも言えますが、インドの給仕さんのカトラリー捌きも、盛り付けも、本当に本格的になりました。そうそう、ワインのサービスもとても紳士的で、ハンサムな給仕さんがお酒を注いでくださるタイミングも良かったです。
夫が頼んだティラミス。
私は甘いものが苦手なので一口だけ(^^)。赤葡萄酒に合いました。
辛口オマケ
ちょっと残念なハイアットのお茶のお話です。
別の日に、ティールームへ行ってみました。ここもとっても懐かしい場所。
ロケーションも、給仕さんのサービスも素晴らしいのですが、ダージリンティはティバック。前にも書きましたが、昔はハイアットクラスのホテルのティールームの紅茶は、必ずポットの中で、茶葉が踊り、その脇には銀の茶漉しが添えられていました。ティバックに使われる茶葉は等級で言えば一番下のダストです。そのダストをチャイに洗練させたインド庶民は天才。素晴らしい。だがしかし、何故、茶器は英国スタイルで供される、インドの代表茶葉・ダージリン紅茶が、高級ホテルと言われるハイアットで、ダストのティバックに成り下がるのでしょう。お茶の質はより悪くなり、値段はより高く。非常に残念です。
コーヒーにはない、「時」を贅沢に楽しむ、紅茶。添えてあるミルクも、お菓子も、茶葉が時間と共に開き、お湯を注ぎ足す度に味わいが濃く豊かになっていくからこそ生きる文化なのに。お店がティーバックを選択したところで全ての関連性を失ってしまう。
自分たちを虐げてきた国の良い文化を残し尊重した寛容の国、インド、インド人。あなた方に、そこを思い出してくださいと、願うのは、数年しかここに居られない外国人の甘い、無責任な感傷・干渉なのでしょうか。夫には、
「ここはインドで英国ではないからネ。
インド人が英国風を望まず、
旨いマサラティや、チャイが有れば良いという考えなら、
それは仕方がないんじゃないか。」
と言われました。
うーーー〜ん。素直に頷けない私です。
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