1990年代の終わり私の初インド駐在の頃、インドではテレビを持つ家庭が増えつつあり、かつての日本もそうであったように、停電が頻繁にありました。
既に30時間以上停電を経験した友人や、当時のインドよりもハードシップの高い国での経験のある先輩奥さまから、対策を聞いていたので、私もそれなりに心の準備はしていましたが、やっぱりそれは得難い体験でした。
当時のグルガオンはさら地で、巨大なビル群は無く、多くの日本人はデリーの一軒家(これは本当に煉獄のように暑かった)、或いは2、3階建てのアパートに住んでいて、各家が停電の時に使うジェネレーター(自家発電器)を確保していました。
その日、未明から既に停電は始まっており、我が家が管理している3台のうちの2台のジェネレーターが、ドドドドドーッと大きな音を立てて動いていました。ジェネレーターは2台あれは普段の停電は凌げたのです。しかし当時、インドの核実験で日本からの抗議があり、そのために物事がうまく運ばず、本帰国される方が増えたため、たまたまゆく先がないジェネレーターがぼた餅のように一台多く確保でき、これが長時間停電の助けになりました。
「家に問題が起きる時ほど夫はいない」これは今でもインド生活・アルアルですよね。その渦中もやっぱり一人。それでも、夫が何度も電話をかけてきてくれたので連絡をとりながら一緒に対処しました。
さて、停電中に一番守るべき物、それは冷凍庫の中身、すなわち、タイやシンガポールで買い出しした肉を中心とした冷凍食品です。何故ならその頃のインドでは、鶏肉以外のまともな肉を買えなかったので、それらは、時間とお金をかけた宝物だったのです。他にも大事な時に食べようと仕舞ってある、明太子や、いくら、魚の干物などもあります。
それらを守る冷凍庫を動かすジェネレーターは停電時の命綱。しかし、ジェネレーターは長時間使い続けると壊れてしまいます。一方、冷凍庫や冷蔵庫は、扉を開けなければ数時間は庫内の温度をキープできます。その数時間を見極めながらジェネレーターを休ませたり、再起動させたりしつつ、冷凍庫、冷蔵庫内温度を維持するのです。しかし、この時は前述した3台目を確保していたので、余裕があり助かりました。
ドライバーさんは、ジェネレーターのガソリンやオイルを買いに車を走らせ、ジェネレーターに燃料を補給。門番のチョキダールさんは、他の階の住人のチョキダールさんも含め、ジェネレーターのスイッチの切り替えや、炎天下の中でジェネレーターにホースで水をかけて機械を冷やしたりと、親身になってくれました。
私は蝋燭や、夕食の準備等家事を明るいうちに済ませ、
「これでもう一晩は大丈夫、でももしそのあとも電気がこなかったら?いや、その時に考えよう。」
と、腹を括りました。
そして、長時間停電経験者や、砂漠の国の大停電中に自宅接待をした先輩奥さまの知恵を励みにしました。
日が暮れ、辺りが暗くなり、蝋燭に火を灯しながら、
「ああ、今晩、電気は来ないな。」
と、覚悟したそのとき、停電が終わる時の電気の光の揺らぎと、ジェネレーターの音が止んだ静寂が来ました。ゆらゆらっとするな否やパカっと放たれた明るい光を見た時、涙がつうっと流れ、こうしてデリーの夏に20時間近く続いた停電は終わりました。
後日、何らかの会合に出た時
「Yukettaさんの地区、凄い停電だったんですって?」
と尋ねられたので
「ハイ、凄かったです。電気が来たら涙ぐんじゃいました。」
と答えた一週間後、いろんな人に
「Yukettaさん停電で参って大泣きしたんですって?大丈夫?」
と、尋ねられる事になってしまいました。日本人も少なく、何処の会社の誰が何を言ったかがすぐに脚色つきで伝わる頃のお話しです。
しかし、この伝言ゲームに助けられた事もあるのです。そんなお話はまたいずれ。アメイジング・インディアなお話ですよう☺️。

トゥルシー(ホーリー・バジル)の実を摘んだよ!
香りだけで身体の中が浄化されそう。今日はシンプルにトゥルシー''だけ"茶にしてみます。
果たして⁉️
楽しみ~🥰。

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当時のグルガオンはさら地で、巨大なビル群は無く、多くの日本人はデリーの一軒家(これは本当に煉獄のように暑かった)、或いは2、3階建てのアパートに住んでいて、各家が停電の時に使うジェネレーター(自家発電器)を確保していました。
その日、未明から既に停電は始まっており、我が家が管理している3台のうちの2台のジェネレーターが、ドドドドドーッと大きな音を立てて動いていました。ジェネレーターは2台あれは普段の停電は凌げたのです。しかし当時、インドの核実験で日本からの抗議があり、そのために物事がうまく運ばず、本帰国される方が増えたため、たまたまゆく先がないジェネレーターがぼた餅のように一台多く確保でき、これが長時間停電の助けになりました。
「家に問題が起きる時ほど夫はいない」これは今でもインド生活・アルアルですよね。その渦中もやっぱり一人。それでも、夫が何度も電話をかけてきてくれたので連絡をとりながら一緒に対処しました。
さて、停電中に一番守るべき物、それは冷凍庫の中身、すなわち、タイやシンガポールで買い出しした肉を中心とした冷凍食品です。何故ならその頃のインドでは、鶏肉以外のまともな肉を買えなかったので、それらは、時間とお金をかけた宝物だったのです。他にも大事な時に食べようと仕舞ってある、明太子や、いくら、魚の干物などもあります。
それらを守る冷凍庫を動かすジェネレーターは停電時の命綱。しかし、ジェネレーターは長時間使い続けると壊れてしまいます。一方、冷凍庫や冷蔵庫は、扉を開けなければ数時間は庫内の温度をキープできます。その数時間を見極めながらジェネレーターを休ませたり、再起動させたりしつつ、冷凍庫、冷蔵庫内温度を維持するのです。しかし、この時は前述した3台目を確保していたので、余裕があり助かりました。
ドライバーさんは、ジェネレーターのガソリンやオイルを買いに車を走らせ、ジェネレーターに燃料を補給。門番のチョキダールさんは、他の階の住人のチョキダールさんも含め、ジェネレーターのスイッチの切り替えや、炎天下の中でジェネレーターにホースで水をかけて機械を冷やしたりと、親身になってくれました。
私は蝋燭や、夕食の準備等家事を明るいうちに済ませ、
「これでもう一晩は大丈夫、でももしそのあとも電気がこなかったら?いや、その時に考えよう。」
と、腹を括りました。
そして、長時間停電経験者や、砂漠の国の大停電中に自宅接待をした先輩奥さまの知恵を励みにしました。
日が暮れ、辺りが暗くなり、蝋燭に火を灯しながら、
「ああ、今晩、電気は来ないな。」
と、覚悟したそのとき、停電が終わる時の電気の光の揺らぎと、ジェネレーターの音が止んだ静寂が来ました。ゆらゆらっとするな否やパカっと放たれた明るい光を見た時、涙がつうっと流れ、こうしてデリーの夏に20時間近く続いた停電は終わりました。
後日、何らかの会合に出た時
「Yukettaさんの地区、凄い停電だったんですって?」
と尋ねられたので
「ハイ、凄かったです。電気が来たら涙ぐんじゃいました。」
と答えた一週間後、いろんな人に
「Yukettaさん停電で参って大泣きしたんですって?大丈夫?」
と、尋ねられる事になってしまいました。日本人も少なく、何処の会社の誰が何を言ったかがすぐに脚色つきで伝わる頃のお話しです。
しかし、この伝言ゲームに助けられた事もあるのです。そんなお話はまたいずれ。アメイジング・インディアなお話ですよう☺️。

トゥルシー(ホーリー・バジル)の実を摘んだよ!
香りだけで身体の中が浄化されそう。今日はシンプルにトゥルシー''だけ"茶にしてみます。
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