聖フランシスコ修道院
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5年前に喜望峰にたち、ガイドさんが
「あちらはインド洋、ヴァスコ・ダ・ガマは、大西洋からここを通りインドを目指しました。」
と言われた時、次の駐在先、またインドってあるかもな…という予感が過ぎさりました。
聖フランシスコ修道院があるコーチは、そのヴァスコ・ダ・ガマが没した場所。遺体はここで眠っていたそうですが、御子息がそれを母国へ戻したそうです。
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修道院内は、土足禁止。
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この写真、垂れ下がる布は、手動扇風機。 
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ロープを引っ張って風を起こすのだそうです。
コーチの夏、暑そうだなあ。



中国石網、コチ砦
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中国石網という漁を初めて見ました。
漁のそばには、魚屋さんが並んでいました。興味があるのは、鯖や鰯などの馴染み深い魚。
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鯵の量が鯖鰯に対して1:10くらいの割合。
デリーでも鯵に出会えるのは珍しいことになるはずダ。


大航海時代
観光しながら大航海時代に思いを馳せてみます。
人もたくさん死んだし、逆に巨万の富が築き上げられ、それによって文化も発展。
その頃からインド、ケララはアラビア海を臨み、その先はアフリカ、ヨーロッパ、背後に中国と対峙し、駆け引きしてきたのですね。ヴァスコ・ダ・ガマが生まれた2年後に応仁の乱。この時代は、残念ながら彼らの眼中に日本は入っていません。
この時代を読み解くたび
「ああ、彼らにとって、日本は極東の辺境。」
と、思う。もちろん室町時代に、日本は、日本なりの素晴らしい文明があったのですが。交流をしない、ということは、負けもしないが、歴史の中で認識もされない。
戦後の発展やバブルのおかげで、日本は経済的豊かになったけど、その貿易歴史の長さから見れば、活躍期間は本当に短い。大航海時代を経ている彼らから見たら「日本はまだまだ辺境から来た新参者と思われているに違いない」
という意識をいつも持っていたいと思います。また、「日本は素晴らしい、経済も技術も」
と、褒めて頂くことは多いけど、こうした時に、
「いえいえ、インドの貿易の歴史から見れば我が国はまだまだヒヨッコです。」
と言った返しをし、逆に相手の懐を語ってもらえる自分でいたいです。


カタカリダンスショー
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いやはや、素晴らしい舞台でした。この日1番の感激。メイクショーも面白かったけど、本番ショーも時間通りにピタリと始まり、その後は飽くことのない1時間でした。
水先案内人である歌い手の、時折入る英語説明も解りやすく、インドの旅先で見るショーとしては、私がこれまで見たものの中で、1番素晴らしかったです。

始めの数十分は、顔の筋肉の動かし方の説明がありました。カタカリダンスが、確固たるテクニックで演じ、踊っていることがよくわかります。
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今回の舞台の筋立ては、能の鬼女物に通じるものがありました。
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歌舞伎でいえば女形にあたる役者さんがとりわけ素晴らしく、なよやかに見えた女性の、鎧が取れて、狂っていく様は、見ていてゾクゾクと身震いしてしまいました。しかし、そんな激しさも、感情任せではなく、技術に則って表現されるもので、女の醜い場面を演じていても、様式美があり、凄いものを観た、という思いで劇場を後にしました。


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