私のミャンマー語の先生がFacebook上から消えてしまった。お世話になっていた頃、彼女は大学生で、はにかみがちの愛らしい優しい女性だった。それがここ一か月、連日激しい言葉の投稿を1日にいくつもいくつも繰り返し、その熱情が私に天安門を思い出させ、心配でならなかった。彼女の訴えをもっとシェアすればよいのか、触れずにそっと見守る方がよいのか、毎日毎日迷っていた。そして今、何もできない。涙もでない。
お釈迦さま、どうかあなたを深く信仰するあの優しい人々をお守りください。



…と、インドに関係ないお話ですが、この一か月、私が毎朝必ずチェックする情報で、心配がつきません。
一方4日前、ソフィア・ローレン(86歳)主演イタリア映画「これからの人生」の挿入歌、ラウラ・パウジーニが歌う「Io sì」がゴールデングローブ歌曲賞を獲得したことが友人間で話題になりました。そしてその友人の為に、その歌のテキストを訳してみました。

もちろん、めちゃくちゃ意訳で、この言葉、どう解釈するのかなぁ、あっているかなあと思う場所もありますが、日本語に起こしていくうちに、なんだか、現在のミャンマーを見守る自分の心のパズルがはまっていくような感覚を覚え、世の中の一所懸命生きている人々が発した流れが為す不思議を思いました。

「Io sì 」の動画はこちら
Quando tu finisci le parole
 君が言葉を失った時
Sto qui
私はここに
Sto qui
ここにいるよ
Forse a te ne servono due sole
多分、君に必要なのは二つだけ
Sto qui
私がここにいる(Sto Qui)
Sto qui
ここにいるよ
Quando impari a sopravvivere
君が生き残る事を学ぶ時
E accetti l'impossibile
不可能を受け入れる時
Nessuno ci crede, io sì
誰もそれを信じなくても、私は信じる
Non lo so io
何故かわからないけども

Che destino è il tuo
何という君の運命
Ma se vuoi
もし君が
Se mi vuoi sono qui
もし君が望むなら、私はここにいるよ
Nessuno ti sente, ma io sì
誰も君の事を聞かなくても、私は聞く
Quando tu non sai più dove andare
君がどこへ行けば良いからわからない時
Sto qui
私がここにいる
Sto qui
ここにいるよ

Scappi via o alzi le barriere
君が逃げ、あるいは障害を持ち上げても
Sto qui
私はここにいる
Sto qui
ここにいるよ
Quando essere invisibile
姿が見えない時
È peggio che non vivere
生きていないよりも悪く
Nessuno ti vede
誰の目にも君が映らなくても
Io sì
私には君がわかる
Non lo so io
何故かわからないけど

Che destino è il tuo
何という君の運命
Ma se vuoi, se mi vuoi
でももし、君が望むなら、もし私を必要とするなら
Sono qui
私はここにいるよ
Nessuno ti vede, ma io sì
誰の目にも君が見えなくても、私には君がわかる

Chi si ama lo sa
自身を愛する人はそれを知っている
Serve incanto e realtà
魔法と現実が必要
A volte basta quello che c'è
時に、在るものが充分すぎるほどあり
La vita davanti a sé
人生はそのまま前へ進む
Non lo so io
何故かわからないけど
Che destino è il tuo
何という君の運命

Ma se vuoi
でも、もし君が望むなら
Se mi vuoi
もし、私を必要とするなら
Sono qui
私はここに
Nessuno ti vede, io sì
誰も君を見つけられなくても、私には君がわかる
Nessuno ci crede, ma io sì
誰もそれを信じなくても、でも私は信じる

映画「これからの人生」は、移民を受け入れてきたイタリアの苦悩を、いまを生きる老婦人の姿を描きながら表している作品で、Netflixでも観ることができます。
予告編はこちら

追記
ミャンマー語の先生と連絡がとれました。
ヤンゴンから故郷に帰られたそうです。ご家族はさぞかし安心されたろう。私は彼女の無事を祈りつつ、しかし若者が、この種の悔しさや挫折を抱えて生きていくのは気の毒だと、思考が両極に移動してしまう。それでも、傷ついたり、弱っている人にかける言葉は「あなたの選択が正しいと言う人間がここにいるよ」だと今、思います。