陽はすでにカンジス川から

こんにちは、Yukettaです。夫の駐在に帯同して参りました。 危険情報や感染病情報は海外安全ホームページにお任せして、こちらでは楽しいインドの生活日記や様子をお届けしたいです。

20年前の思い出

恩送り

1990年代末、初駐在の時、右も左も分からない私は、デリーに駐在するさまざまな方と、会ったことのない人々が積み重ねた知恵に助けられ、それは、もう感激の連続で、いちいち目を潤ませていたのです。


ある日、先輩奥さまのお宅で、
「受けた恩をお返しできません…」
とメソメソする私に、本帰国を控えた彼女は、
「あ~ら、恩なんて受けた相手には返せないものよ。後から来る次の人に返していけば良いのよ~。」
と、カラカラ明るく仰り、この日以来、世話になった人の前で、イジイジするのはやめようと誓った事があります。

まさにvolunteerボランティア、自発的な、自ら進んでの、他者に対して見返りを求めない行為。それをする人には多からず少なからずその人の背景にその理由があり、そこに感情的に過剰に反応するのはナンセンスと、今なら分かります。

あれから15年くらい経って、一冊の本に出会い、あの先輩奥さまが仰った「恩を受けた相手ではなく後の人に返していく」という行為を表す言葉に辿り着きました。

それは、友井羊さんの
「ボランティアバスで行こう!」
というミステリー小説に出てきた
「恩送り」
という言葉です。

Wikiを見てみると、すでに江戸時代にはあった言葉で、井上ひさしさんも作品で、使用しているのだとか。知らなかったナア。

今でも、何かお世話をする機会が与えられた時は、淡々と、または言葉をえらびながら、私に手を差し伸べてくださった優しい方々の顔が思い浮かびます。

「ボランティアバスで行こう!」はミステリーですが、読後感が優しい小説です。
kindle



文庫


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喧嘩してもいいよ

誰とでも
私の初駐在帯同は、ここ、インドですが、生活が始まった時に良人に言われた言葉が、タイトルの言葉です。彼は
「まず言っておくけど、君はここで誰と喧嘩をしてもいいよ。たとえ僕の上司の奥さんとでも。僕は何も困らない。」
と言いました。今でも感謝しています。
このように言われて、私は奥さん同士の喧嘩に明け暮れていました…ということはありませんが、長い転勤生活の中で2度トラブルがあり、それは両方ともインドでした。

家庭車
当時は、一台の家庭用の車を外出時に使うために、同じ会社の奥さんと共有していました。それぞれが割り当てられ、決められた曜日にその車を利用するのです。それ以外に必要な時は別のドライバーを雇います。
 ある先輩奥さんが私に、私の利用日に、私が使わない時間がある時は、直ぐに彼女の家に車を回して欲しいと言いました。理由は、お子さんがいるから何かと車が必要との事。もやっとしたので、始めに良人と相談し、その後、それは出来ませんと、はっきり断りました。

 物理的に不可能では無いし、「助け合い」という考え方もありますが、一年、二年とそれを続けると、「もやっと感」が積み重なり不満に変化するだろうし、そうでなくても、結局気を使いすぎて自分の首を絞めることになるのが予測されたからです。
 当然、その奥さんは気分が良くなかったでしょうし、私は彼女にとって「お子さんのいる家庭に気遣いができない冷たい人間」という位置づけをされ、支店長夫人にも考えを変えないかと問われました。しかし、夫婦でよく話し合って決めたことなので、それを再びはっきり断ると、真綿タイプの嫌味を言われました。

 決まりよりも、情緒を優先し、それに流されやすい人の真綿は罪だと思います。私を諭す前に、いや、年下の奥さんの好意や我慢、譲る心、に頼る前に、決まりに不満がある人が、それを変えるための努力をすべきです。そしてこの場合、その交渉の相手は、与し易い目下の奥さんではなく、会社です。私は夫婦で出した答えは正しいと信じ、家庭用の車利用日は堂々と使い、その後会社の催しで2人に会う時も、気合いを入れて、にこやかに付き合い続けました。
 しかし、運命がどう転んだか、その奥さんも支店長夫人も、しばらくしないうちに、本帰国してしまいました。

ハウスキーパー
 2度目は他社の奥さまとのトラブルです。ある大きな会社の偉い方の奥さまが、私の家で働いていて辞めていったハウスキーパーについて、どんな問題があったかをお尋ねになりました。そのハウスキーパーを雇うかどうか検討されていたからです。私は、そのハウスキーパーに痛い目にあったので、起きた事実を話し、奥さまは、そのハウスキーパーを雇わない事を決めました。
 
 数日後の早朝、そのハウスキーパーが我が家の前に抗議に来ました。彼女は、
「○○(←夫の会社の名前)と○○(←私の苗字)が、私の就職を邪魔している」
と叫んでいます。どうやら、大きな会社の偉い方の奥さまは、私と、夫の会社の名前を出して、
「彼ら(私たちのこと)が、雇うなと言ったから、アナタ(叫んでいるハウスキーパー)を雇わない。」
と説明したらしいのです。
これは、正式に会社を通して抗議しますと、その奥さまに電話で伝えました。命に関わる事柄だからです。その後、奥さまは、我が家に謝罪にいらっしゃり、私はそれを受け入れました。

どきどき・ぶるぶる
 両ケースとも相手は歳上で、1番目のケースはまだ「嫌な人と思われたらドウシヨウ」という考えに囚われていた頃だったし、2番目のケースは、二回りくらい上の奥さまでした。
 一方、私は会社の中で一番下っ端の、海外経験の少ない身でした。だから、うねうね、うじうじ悩んで、しかし、やっぱり拒否や、抗議をしようと決めた時は、とても怖かったです。事実から逃げたかったし、どきどきし、電話をもつ手には汗、身体は震え、支店長夫人に考えを変えるように言われた時は心がくじけそうでした。
 でも、勇気を出してよかった。
 その後は両方とも私にとって良い方へ向かったからです。
 この経験を得たせいか、その後は何処へ行っても、この二つ以上のトラブルにはあっていません。

 光陰矢のごとしで、私もあっという間に、2番目の奥さまの年代になってしまいました。知らないうちに老害を撒き散らしていることもあるでしょう。若い時のどきどき・ぶるぶるしながら自分を奮い立たせた事を覚えておき、もし自分が間違っていたら、素直に謝罪できる人間でありたいと今は思っています。


オマケ
Instagramの@dancyu_mag にアップされていた、最近のスペインでも人気と言われる「マンゴーのガスパチョ」を作ってみたよ!
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おお、これは!って味わい。マンゴーが安くて美味しいインド(もうシーズンは終わりつつあるが)にいるなら作るべし、作るべし。
うーんと冷たくして、どうぞ~💝。
デザート寄りにも、ふやかしたパンを加える通常タイプ寄りにもできるらしい。

私が作ったのは、デザート寄り。甘党良人が、喜んだ。レシピのシェリービネガーがなかったので、モダンバザールで599ルピーで買った、イタリアの白ワインビネガーを使用。しかし、酸味はニンブー(インドのレモン)で充分😊と、感じました。そして、オリーブオイルの代わりに、インドのオーガニック・マスタードオイルを使ってみたいという欲求がムクムク。

レシピは、こちらから↓



ここに「一年中楽しみたいガスパチョ」が連載されています。


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祝・定年御退職

インド運転手・勤続30年
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今週火曜日は、ある運転手さんの定年退職の日でした。勤続30年です。名前をサティッシュさんと言います。20年以上働いている我が家の運転手さんの計らいで、サティッシュさん最後の日の運転を、私に当たるようにしてくれました。何故なら初駐在の時、家庭車の運転手さんだったサティッシュさんに、私はお世話になり、我が家の運転手さんがその事情をよく知っていたからです。

二十数年ぶりの再会
サティッシュさんは、私が今回の帯同で2度目の初入国をした翌日に、コロナ禍であったのに、挨拶に来てくれました。彼は私があの頃、初めにどこのエリアに住んで、次に何処のエリアに引っ越したか、それがどんな家だったかをよく覚えていました。サティッシュさんは、私から自作の日本のお菓子をもらったとも言いました。当時の、あの恐ろしく暑い台所で作るお菓子なんて、おそらくボランティア資金集めのバザーの為に焼いた、どら焼きではないかと思うのです。当時は自らをベジタリアンと言うお手伝いさんも、ノンベジの日本人の残り物を喜んだので、なんでも大量に作って、それを誰が食べるのかは尋ねず、お手伝いさんたちにあげていたのです。こうした余り物は、お手伝いさん同士が喧嘩する(←これはカオス😅)ほど重宝されました。しかしそれを運転手さんにも配っていたとは。すっかり忘れていました。

運転手リストラ
 私が彼について、覚えている事といったら、「サティッシュさんリストラ騒ぎ」です。これは、私のインド思い出話トップ10に入ります。
時代は1998年。この年、インドが核実験をした事により、日印関係がギクシャクしました。もちろん駐在員は、ガチでその影響を受け、本帰国者が増えました。すると次に来るのはインド会社内の人員削減。家庭車ドライバーなんて一番簡単にリストラされてしまいます。
ある日の事です。夫が出張に出て、のほほーんとお一人時間を過ごしていたところへ、チリリンと呼び鈴が。ドアを開けると、そこにはサティッシュさんがいました。出かける予定はないし、運転のリクエストをしていないのに変だなと思っていたら、サティッシュさんが震える声で、自分がリストラされる、
「マダム、ヘルプミー。」
と、私に話しました。

インド・トラブル
“トラブルは、夫の出張中に起きる”
インド帯同アルアルですが、ドライバーリストラ案件。これほど私に解決余地のないトラブルはありません。まずは私は社員でないから何の力もない。そして、当時の夫は一番下っ端。
 サティッシュさんだけではありません。何故かわからないけど、インド社会で一番影響力のない外人の女の私に、インド人は困りごとを持ちかけてくるのです。
「お姉さんの夫が死んだ、金くれマダム」
「子どもが学校に行けない、金くれマダム」
「テレビを母親が持っていってしまった、金くれマダム」
これらをですね、「どんなに凄い演技指導がついているんじゃ!?」と感じるほど、彼らは情緒たっぷり、悲愴感たっぷりに語る、いや訴えかけてくるのです。
なによりも、夫に言わず、女の私に言うところが、ヒジョーにムカつき、
「インド式男尊女卑だ、チクショーっ!」
と、初めはいちいち腹を立てていましたが、あまりにも多いので結局慣れ、全て「それは夫に話してチョーダイ。」で済ませるようにしてしまいました。

 さて、サティッシュさんです。スマホはなく、電話線から回線が盗まれる時代です。夫は出張中なので「それは夫に話して」は通用しません。普段は無口なサティッシュさんは、それから毎日、震える手で、自分の経歴が書かれた紙を私にみせ、震える声でいかに自分が無事故で安全に運転してきたかを私に話しに来ました。私は何の力もないけど、こうした訴えを異論を唱えず聞き続けるのも務めなのか(残念ながらそれしかできない)と、やってきたサティッシュさんの繰り返される話をきき、既にしわくちゃになっている経歴書を、これは大切、大事に持っていてねと渡し、夫には経過を電話で話しました。
後日、運命がどう転んだのか、その後次々と新たに三人の奥さまの帯同が決まり、何故か三人とも、インドよりハードシップの高い国を経験済みで、この辺の事情を心得ていらっしゃり、中には「ウチで彼を雇ってもいいわよ」と仰る気風の良い奥さまも登場(彼女は二十代前半で早々と家庭に入った、主婦の王道を行く方でしたが、インド入国始めから英語以外にウルドゥ語を使いこなし、後にヒンディー語も話すようになり、サティッシュさんに「厳しいけど、ハートがグッドなマダム」として記憶される)。そうこうしているうちに、サティッシュさんのリストラは無事回避されました。

定年の日
インド核実験がきっかけになり、それは日印関係だけでなく、駐在員にも、その家族にも、そしてデリーの素朴な家庭の大黒柱リストラ危機にまで影響を及ぼしましたが、それを乗り越え、こうして、無事に定年を迎えることになったサティッシュさん。そしてその最後の日を一緒に過ごせたなんて、あの時を思えば思うほど、感慨で胸がはち切れそうでした。
 この日、車内で思い出話しに花が咲きました。サティッシュさんは、家庭車のドライバーさんなので、30年、日本の奥さんと子どもたちを見てきたわけです。彼は本当に色んな奥さまのことをよく覚えていました。リストラ騒ぎだけでなく理不尽なことも沢山あったでしょう。
 スマホがない時代、運転手さんはひたすら待つのも仕事でした。当時はホテルか自宅での宴席が常でしたが、ホテルとなると、地下の駐車場で運転手さんは待つのです。今でも、昔ながらの高級ホテルの入り口の端に、台が置かれているのを見ることができます。そこにはマイクがあり、その音声が駐車場に繋がっています。例えば、私が係の人に運転手さんの名前を告げると、そのマイクに向かって
「サティーッシュ、サティーッシュ、ジャルディ、ジャルディ。」
と言います。すると、駐車場でそれを聞いたサティッシュさんは、数分後にホテル玄関に車を付けるのです。 我が家の運転手さんは、あのスマホのなかった頃を「ハード・ワークな時代」と言い、今もホテルの駐車場は使いたがらないように私は感じます。当時のあの駐車場の様子は、映画「ホワイト・タイガー」でも描かれいますし、原作もインド・ドライバーの現実をよく綴っています。

 私が二十数年ぶりにインドに来たら、当時の運転手さんは三人亡くなっていました。おそらく50、60代で逝ってしまったのだと思います。みな、走り屋で、力持ちの明るくて優しいドライバーさんでした。その中には、渋滞中であれ、何が何でも出張者やお客さんの飛行時間に間に合わせる、スーパー飛ばし屋ドライバーさんもいました。
 サティッシュさんは飛ばし屋ではないし、決して器用なドライバーさんではありません。しかし実直で真面目。そして、恰幅のよかった彼らと比べ、サティッシュさんは、スレンダーで健康的に見えます。その事を彼に言うと、彼は目的地で奥様方を待っている間、歩くようにしていたと、答えました。そして日々のお食事は、ワイフの作ったホームのフード。健康のためには、外食はしない事だと微笑みました。

 私の運転の翌日は、仲間たちとさよならパーティ。その次の日からは、孫と一緒に生活、そしてそれが、「ベ~リ~ハッピー」だと、サティッシュさんは笑い、写真を見せてくれました。そこには、あの日、ブルブル震える声と手で訴えた彼が守りたかったもの、その未来図がありました。

サティッシュさん、
勤続30年、お疲れさまでした。
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クラッシック・バイオリニストのロック魂 in Delhi 

ついに、行ってきました!
デリーのイタリア大使館カルチャーセンターで催されるコンサート。今回は、「From Baroque to Rock」。
インドでコンサートといえば、25年前にデリーにやってきたポールモーリアのコンサートへ行った時、ババーンとオープニングの音が鳴ったら、室内にも関わらず、そこに住み着いていた鳩が驚いて落としたフンを浴び、演奏中にもかかわらず、「ぎゃーフンが落ちてきたー!」と日本語で叫んだ私に、隣のインド女性が「ノープロブレム、ミートゥ」と言ったのが、最大の思い出です。

さて、昨日朝、WEBサイトで情報を見つけたのですが、夫に「今夜コレに行きたい」と言ったら「なんで急に言うんだ」となり「だって急に見つけたんだもん」と以下、夫婦喧嘩勃発となりました。

そして、喧嘩嵐は去り、夕方、イタリアカルチャーセンターへ。プログラムは、バロック音楽からQueenまで。今年、イタリアカルチャーセンターが「Vita nova/ニューライフ」をテーマに掲げているので、現在、同文化会館で開かれている、クラフトのエキジビションと同じく、伝統と現代を連動させ、未来に繋げ、コロナを文化の面からも乗り越えるという試みをしているのかもしれません。
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観客席はインド人が多く、フリーチケットの会場15分前にはすでに、入り口で列が出来ていました。インドの、心からのクラッシック愛好家が集まったらしく、インドの映画館で、突然ケータイが鳴り…え、喋るのか、オイ!……なんて事はなく、私語は皆無の鑑賞、拍手のタイミングもバッチリ心得た観客のマナーは、素晴らしくよかったです。
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 そして演奏が始まると、バイオリニストのDavide de Ascaniisさんの超絶技巧に、みなさん酔いしれていました。
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幕間で、近くに座っていらした館長さんに、彼の年齢を尋ねると、
「30代前半」
まだまだ若いですねと言う私に館長さんは
「そう、彼は若い上に、ヴィルトゥオーゾだ。」
と仰いました。ヴィルトゥオーゾとは、イタリア語で、「徳のある人」というのが第一の意味ですが、音楽的には、超絶技巧者、技術が名人、達人の域にいる人を指します。ヴィルトゥオーゾの演奏鑑賞は、例えばそれは、真央ちゃんや結弦くんの、三回転、三回転半、四回転、連続回転や、超絶テクニック・ステップを、手に汗握りながら見るのと似ています。この日のバイオリン演奏も、ぶっ飛びテクニックの連続で、エネルギーに満ち、プログラムがQueenに至る前に、正統・真正クラッシック演奏家でありながら、既に魂がロックなアスカーニスさんでした。
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バロックやロマン派、近代音楽の演奏も素晴らしかったけど、Queenも、真剣勝負演奏。電子バイオリンの音が力強くうねっていました。

幕間に説明をしてくださった、館長さんは、なんと日本語ペラペラ。インドは5年目。このコロナをどっぷりここで乗り切っていらしたのでしょう。

演奏後、バイオリニストのアスカーニスさんに、サインをお願いに行きました。まるで、ロレンツォ・デ・メディチのような風貌、演奏中のとてつもない集中力。もしかしたら、気難しい人かも知れないな、と思いましたが、それは杞憂。殆どの一流のイタリア人がそうであるように、気さくな方で、そばでお顔を見ると、写真より遥かにハンサム。当たり前のようにサインに応じてくださり、日本語で「ありがとうございます」と言われました。
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↑16歳時のアスカーニスさんの演奏。バイオリニストの才能開花は本当に早い。この曲は昨日も演奏された「Nel cor più non mi sento」のパガニーニ編曲。超超絶絶技巧です。
インドは、こうした演奏がライブで聴ける国になったのです。さて、次の宿題は、モールではなく劇場建築かナ。小さくてもいい。インドで少しずつだけど、着実に素直に育っている西洋音楽を愛するインドの若者(この日の観客も若者が多かった)のための、奇を衒わない施設になって欲しいです。


次回のイタリアカルチャーセンターの音楽の催しは7月の予定。アナウンスは、急だと思われるのでウェブサイトはもうもう毎日チェックします😤。

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女性のヨガ先生

昨日は、朝・夕とヨガへ。
のめり込んでおります。
楽しい。
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さて、写真は、シバナンダのヨガセンターに掲げてあるものです。ドアの外の様子を見ると、ここは、リシケシだろうか?そして、きっと、かつてのアシュラム、と思われるのは、写っているのが全て男性だからです。

20年前、私が初めて、リシケシに行った時、アシュラムにヨガを学びに来ている女性は、全て外人でした。いや、デリーでもヨガをするインド女性に出会ったことがなかったです(決まった場所にしか行かなかったからかも知れないが)。また、習っていた英語の先生は、彼女ではなく、彼女のお父様が、楽々と三点倒立をする人だとお話しになりました。そして、私が、ヨガをするインド人女性を見たのは、映画「きっと、うまくいく/ 3 Idiots 」でラジューの奥さんがカパラバティをしているシーンが初めてでした。

しかし、昨日は2度センターへ行ったのですが、指導してくださったのは、二回とも女性の先生です。
夕方の先生は、声が綺麗で優しく、歌うようにヨガを促す。その上、容姿端麗。私は密かに「夢ヨガ先生」とお呼びしています☺️。

将来、きっと、歴史に残る女性グル/導師も現れるのだと思う。いや、もういらっしゃるのかな、私が無知なだけで😅。


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プロフィール

Yuketta

こんにちはYukettaです。回り回って最初の駐在地ニューデリーに戻って参りました。4コマ漫画のように、最後はクスッと笑ってしまう日々を与えてくれるインドが大好きです。大変化を遂げたこの大都市と初めて出会った場所のつもりで向き合っていきたいです。

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