リア友さんとチベッタン・コロニーへ
インド帯同後、8月末頃からようやく、夫以外の人と日本語がリアルに話せるようになってきました。とても嬉しいです。
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インド帯同後、8月末頃からようやく、夫以外の人と日本語がリアルに話せるようになってきました。とても嬉しいです。
そして先月、長くインドにいる方と一緒にこちらへ行ってきました。
チベッタン・コロニー、Majnu-ka-tilla。
どれもこれも美味しい😋。一番高いマトンのターリーが380ルピー。マトンが絶品でした。
ターリーのお惣菜おかわりを、清潔な身なりをした姿勢の良い給仕さんが4つに分かれた銅のボールへ入れてサービスしてくださいました。
インド人にも人気のオシャレなカフェでは帰り際、ハンサムな若者給仕さんがマスク越しに日本語で「さようなら」と綺麗な目を細めました。
再びチベッタン・コロニーへ
デリーにいながら異国情緒を味わえるという理由だけでなく、行っておくべきと思ったので、ガンジーさんの誕生日である昨日、夫を連れて行きました。
甘党夫が喜んだ、パンケーキが頂ける「Ama Cafe」は、一見、湘南のカフェかと思う、お洒落で落ち着いた空間です。店員さんもキビキビされ、その上ホスピタリティがあります。
しかし、よく店内を見回すと、壁の絵はチベットの僧院だったり、
現代風なキッチンにあるのは
暖簾ではなく、チベットの経文が刻まれる5色の旗、タルチョだったり、
また、可愛いチベット柄の台があったかと思うと僧院にあるマニ車が、感じよく置かれて、お店の風景に溶け込んでいました。
カフェの飲み物メニューには、スタバ風の甘いコーヒーや、お砂糖無しのアイスコーヒーの他、伝統的チベットのバター茶がありました。
素晴らしいターリーをだす「Ama Restaurant」。
大きなダライ・ラマ法王の写真が掲げられていました。
このレストランでは、フィンガーボールが食前と食後にでてきます。
通りには「わぁ、可愛い〜」と、窓をの向こうをつい覗き込んでしまうオシャレなお店があったり、
また、チベットの伝統的な生活雑貨を売るお店がありました。
僧院をおとずれてみたら、お経が始まっていました。
ここで生活しているらしき幾人もの人が当たり前のように手を合わせて、僧院を後にします。
そして、通りの一番先には…。
インドにも、「チベット人がいる事で、彼の国の怒りを買い、矛先がこちらに向き、自分たちに災難が降りかかる、迷惑だ」という考えと、「いや、我が国は、彼の国のご機嫌を伺い過ぎだ、もっと毅然とすべきだ」という考えがあるようです。こうした背景の中、インドで亡命をするチベットの人々にしてみれば、訴えたい事は山ほどあるが、大きな声で大々的にデモなどをすれば、それが話題になればなるほど、結局それは、ここで生活をせざるを得ない自分たちの首を絞めることになるでしょう。また、成功しすぎてしまえば、亡命地での嫉妬も買ってしまう。
何というストレス!
何という辛抱強さ!
それでも!!!!!
訴えたいことを作品や生活の中に鍵として忍ばせるのは非常に知的な作業。訪れる側にも謎解き想像力が求められる。そして、「あっ、これは!」と、その鍵がひらかれた瞬間、映画「クンドゥン」のチベット人の言葉と裏腹の慟哭を思い出し、ぎゅっと胸が締め付けられ、単純な運動より一層の怒りや悲しみがじわじわと伝わるのです。本当に頭の良い人々。
彼らほどのセンスはカケラほどもありませんが、私も、チベットの人々の微笑みの裏に秘めた、激しい思いをこちらに、小さく残します。
チベッタン・コロニー、Majnu-ka-tilla。
ここにくるのは初めて。空と道が小さな、ごちゃごちゃした、それでも客引きもなく安全な通りです。そこには、ハッとするお洒落なカフェ、雑貨、お洋服屋さん、そして美味しいネパール仕立てターリーを食べさせるお店がありました。
どれもこれも美味しい😋。一番高いマトンのターリーが380ルピー。マトンが絶品でした。
ターリーのお惣菜おかわりを、清潔な身なりをした姿勢の良い給仕さんが4つに分かれた銅のボールへ入れてサービスしてくださいました。
インド人にも人気のオシャレなカフェでは帰り際、ハンサムな若者給仕さんがマスク越しに日本語で「さようなら」と綺麗な目を細めました。
ダライ・ラマ法王の亡命のきっかけになったラサ蜂起が1959年だから、彼は亡命3世だろうか? 働き者の亡命チベッタンに仕事を奪われて面白くないインド人がいると聞いたのは20年前。彼の微笑みに胸がいっぱいになりながら、カフェの階段を降りる私でした。
再びチベッタン・コロニーへ
デリーにいながら異国情緒を味わえるという理由だけでなく、行っておくべきと思ったので、ガンジーさんの誕生日である昨日、夫を連れて行きました。
甘党夫が喜んだ、パンケーキが頂ける「Ama Cafe」は、一見、湘南のカフェかと思う、お洒落で落ち着いた空間です。店員さんもキビキビされ、その上ホスピタリティがあります。
しかし、よく店内を見回すと、壁の絵はチベットの僧院だったり、
現代風なキッチンにあるのは
暖簾ではなく、チベットの経文が刻まれる5色の旗、タルチョだったり、
また、可愛いチベット柄の台があったかと思うと僧院にあるマニ車が、感じよく置かれて、お店の風景に溶け込んでいました。
カフェの飲み物メニューには、スタバ風の甘いコーヒーや、お砂糖無しのアイスコーヒーの他、伝統的チベットのバター茶がありました。
素晴らしいターリーをだす「Ama Restaurant」。
大きなダライ・ラマ法王の写真が掲げられていました。
このレストランでは、フィンガーボールが食前と食後にでてきます。
また、チベットの伝統的な生活雑貨を売るお店がありました。
僧院をおとずれてみたら、お経が始まっていました。
ここで生活しているらしき幾人もの人が当たり前のように手を合わせて、僧院を後にします。
そして、通りの一番先には…。
インドにも、「チベット人がいる事で、彼の国の怒りを買い、矛先がこちらに向き、自分たちに災難が降りかかる、迷惑だ」という考えと、「いや、我が国は、彼の国のご機嫌を伺い過ぎだ、もっと毅然とすべきだ」という考えがあるようです。こうした背景の中、インドで亡命をするチベットの人々にしてみれば、訴えたい事は山ほどあるが、大きな声で大々的にデモなどをすれば、それが話題になればなるほど、結局それは、ここで生活をせざるを得ない自分たちの首を絞めることになるでしょう。また、成功しすぎてしまえば、亡命地での嫉妬も買ってしまう。
何というストレス!
何という辛抱強さ!
それでも!!!!!
訴えたいことを作品や生活の中に鍵として忍ばせるのは非常に知的な作業。訪れる側にも謎解き想像力が求められる。そして、「あっ、これは!」と、その鍵がひらかれた瞬間、映画「クンドゥン」のチベット人の言葉と裏腹の慟哭を思い出し、ぎゅっと胸が締め付けられ、単純な運動より一層の怒りや悲しみがじわじわと伝わるのです。本当に頭の良い人々。
彼らほどのセンスはカケラほどもありませんが、私も、チベットの人々の微笑みの裏に秘めた、激しい思いをこちらに、小さく残します。
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