そこには、多少の変化はあるものの、懐かしいままのインドの姿がありました。
よく、インドに来ると人生観か変わると言われますが、20年前、初駐在の第1週目、まさにここで転機と言って良いほどの衝撃をうけました。
それは、変わるというよりも「気付かせていただいた」という出来事です。
この日、生きていて、逃げ、激しく鳴く鶏を捕まえ、落とす光景を生まれて初めて見ました。これから数年住むのだから、繰り広げられている出来事から目を逸らしてはいけないと考え、一部始終を追いました。そして、鶏の断末魔の声は今でも耳に残っています。
そこで、自分はそうした暗いもの、裏側を見ずに、ずっと守られて、心を傷つけられずに、これまで生きてきた事に気づき、手に伝わる袋の中の、ついさっきまで生きていた鶏の温かさを肌に感じながら号泣しました。
そこで、自分はそうした暗いもの、裏側を見ずに、ずっと守られて、心を傷つけられずに、これまで生きてきた事に気づき、手に伝わる袋の中の、ついさっきまで生きていた鶏の温かさを肌に感じながら号泣しました。
叫び声をあげるから可哀想、という無言で命を分け与えてくれる存在に対する想像力の無さ、偽善、生き物を喰らう罪深さ、そして、先人や家族、友人、そして神さまみたいな存在に守られているのに気付かず、文句ばかり言っていた嫌らしい自分を知りました。
帰宅して、鶏を下手くそな手つきで泣きながら解体し、調理して、夜、頂きました。
「今食べないと、私はインドに負ける!」
帰宅して、鶏を下手くそな手つきで泣きながら解体し、調理して、夜、頂きました。
「今食べないと、私はインドに負ける!」
と思ったからです。夜中、大きな鶏に追いかけられる夢を見ましたが、それは一回きりで、その後はもう、そんな夢は見なくなりました。