連休を利用し、シッキム・ダージリンへ行き、昨日無事に帰ってきました。ものすごく疲れたけど、良い旅でした。
二十数年前のダージリン旅
実はダージリンへは、インド初駐在の時に何度か行っていっています。初めてダージリンへ訪れた時はモンスーン。飛行機へ乗る前に、空港からダージリンの街へ行くまでの道が雨で閉鎖されたという知らせを受け、
「どうなるんかいな」
と思いながら、それでも私たち夫婦はダージリンへ飛びました。
空港ではジープと英語を解さない運転手さんが待っていました。旅行会社は電話で、その車と運転手さんが裏道でダージリンの街へ連れて行ってくれると言いました。
果たして、その高地・ダージリンへの裏道は、細く、暗く、うねっており、雨と霧で視界が悪い。私の目には数十メートル先の道路が見えません。その道を減速せず、クネクネの、なんだ坂こんな坂を無言でガンガン車を走らせる運転手さん。なるほど、雨と霧が美味しいお茶の葉を育てるって本当だな、ふむふむ…なーんて感じる余裕は、もちろんありません。
「私はここで絶対死ぬ、絶対の絶対、死ぬ。
明日か明後日の新聞に『邦人夫婦、インドダージリンで死亡』って載る!」
と、私たちのパスポート写真がくすんだ形で表される新聞のイメージまで思い浮かべてしまうのでした。
一方、そんなにも想像を豊かにしている私の隣では、夫は寝ておりました。寝ていたと言うと、さも肝の座った男という感じですが、彼の身体を揺らしてみても起きないし、身体が骨が抜けたようにくにゃくにゃです。きっと彼は気を失っていたのだと思います。こうして夫は現実逃避思考、私は現実を最後まで見ていないと気が済まない、とまあ、夫婦の嗜好と言いますか気質と言いますか、その明らかな違いをハッキリ確認した旅でもありました。因みに、現実逃避思考の方が人生は幸せだと私は思います。私みたいなのはソンだ。
こんなに恐ろしい思いをしたのに何故ダージリンに何度も行きたくなったか(母まで連れて行ってしまった)。それは何よりも、人が良いからです。街にはわたしたちと同じような薄い顔をした人々がおり、自分の血が彼らとの近さを感じ、親しみが持てました。また当時、インドの旅行と言うと、頼みもしないのに写真を撮られて、要らないというと、目の前で即席に出来上がった自分が写っている写真を破られたり、またガイドさんにやっぱり頼みもしない土産物屋に連れていかれ、それが現実の生活と見合わない高価な絨毯とか宝石屋だったり。
「コノヒトタチ、私たち夫婦からお金を巻き上げようとしている〜!!
もうイヤ!」
という被害妄想に陥るほど、その事にウンザリしていました。
それが、ダージリンへ着いてから同行してくださったガイドさんが紹介してくれたのは、紅茶屋さんのみ。それもお茶畑をいくつか巡り、工場でお茶のできるまでの行程を知り、紅茶の等級を習い、初めて
「紅茶の良いお店を彼から紹介してもらってから買いたい!」
と心から思い、それを伝えた後のことです。そのガイドさんの名前はビシューさんと言いました。
旅のある日、お茶畑に立ちながらビシューさんに、インドでリラックスができる旅がしたいと話をしたとこの事です。彼は、うっすらと霧に覆われた茶畑の先を指差しながら、
「彼方はブータン、こちらはシッキム、向こうはアッサム、何処もリラーックス出来る旅ができます。ぜひ次回はゆっくり日にちをかけて来てください。」
と静かに仰いました。
さて、今回の旅は、ビシューさんが薦めてくださったシッキムにも行ってみる事にしました。彼のオススメから20年以上経ってようやく。またそれは、映画「きっとうまくいく3idiots」を観てから始まったチベット文化からの誘い(いざない)でもあります。あの映画は、私をラダックへ連れて行き、映画「セブンイヤーズチベット」や「クンドゥン」へ導き、今度はシッキムへ足を向かわせました。とはいえこの導きはすでに、初めてダージリンへ行った時に始まっていたかもしれません。そんなお話は、次回以降の旅行記で綴ります。
旅の準備
パスポート
出張PCR検査
ワクチンパスポート
飛行機チケット
◉服装
9月のお彼岸前から、日本の1月〜2月までの準備をしました。
脱ぎ着しやすい玉ねぎスタイルです。
靴はスニーカー。
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二十数年前のダージリン旅
実はダージリンへは、インド初駐在の時に何度か行っていっています。初めてダージリンへ訪れた時はモンスーン。飛行機へ乗る前に、空港からダージリンの街へ行くまでの道が雨で閉鎖されたという知らせを受け、
「どうなるんかいな」
と思いながら、それでも私たち夫婦はダージリンへ飛びました。
空港ではジープと英語を解さない運転手さんが待っていました。旅行会社は電話で、その車と運転手さんが裏道でダージリンの街へ連れて行ってくれると言いました。
果たして、その高地・ダージリンへの裏道は、細く、暗く、うねっており、雨と霧で視界が悪い。私の目には数十メートル先の道路が見えません。その道を減速せず、クネクネの、なんだ坂こんな坂を無言でガンガン車を走らせる運転手さん。なるほど、雨と霧が美味しいお茶の葉を育てるって本当だな、ふむふむ…なーんて感じる余裕は、もちろんありません。
「私はここで絶対死ぬ、絶対の絶対、死ぬ。
明日か明後日の新聞に『邦人夫婦、インドダージリンで死亡』って載る!」
と、私たちのパスポート写真がくすんだ形で表される新聞のイメージまで思い浮かべてしまうのでした。
一方、そんなにも想像を豊かにしている私の隣では、夫は寝ておりました。寝ていたと言うと、さも肝の座った男という感じですが、彼の身体を揺らしてみても起きないし、身体が骨が抜けたようにくにゃくにゃです。きっと彼は気を失っていたのだと思います。こうして夫は現実逃避思考、私は現実を最後まで見ていないと気が済まない、とまあ、夫婦の嗜好と言いますか気質と言いますか、その明らかな違いをハッキリ確認した旅でもありました。因みに、現実逃避思考の方が人生は幸せだと私は思います。私みたいなのはソンだ。
こんなに恐ろしい思いをしたのに何故ダージリンに何度も行きたくなったか(母まで連れて行ってしまった)。それは何よりも、人が良いからです。街にはわたしたちと同じような薄い顔をした人々がおり、自分の血が彼らとの近さを感じ、親しみが持てました。また当時、インドの旅行と言うと、頼みもしないのに写真を撮られて、要らないというと、目の前で即席に出来上がった自分が写っている写真を破られたり、またガイドさんにやっぱり頼みもしない土産物屋に連れていかれ、それが現実の生活と見合わない高価な絨毯とか宝石屋だったり。
「コノヒトタチ、私たち夫婦からお金を巻き上げようとしている〜!!
もうイヤ!」
という被害妄想に陥るほど、その事にウンザリしていました。
それが、ダージリンへ着いてから同行してくださったガイドさんが紹介してくれたのは、紅茶屋さんのみ。それもお茶畑をいくつか巡り、工場でお茶のできるまでの行程を知り、紅茶の等級を習い、初めて
「紅茶の良いお店を彼から紹介してもらってから買いたい!」
と心から思い、それを伝えた後のことです。そのガイドさんの名前はビシューさんと言いました。
旅のある日、お茶畑に立ちながらビシューさんに、インドでリラックスができる旅がしたいと話をしたとこの事です。彼は、うっすらと霧に覆われた茶畑の先を指差しながら、
「彼方はブータン、こちらはシッキム、向こうはアッサム、何処もリラーックス出来る旅ができます。ぜひ次回はゆっくり日にちをかけて来てください。」
と静かに仰いました。
さて、今回の旅は、ビシューさんが薦めてくださったシッキムにも行ってみる事にしました。彼のオススメから20年以上経ってようやく。またそれは、映画「きっとうまくいく3idiots」を観てから始まったチベット文化からの誘い(いざない)でもあります。あの映画は、私をラダックへ連れて行き、映画「セブンイヤーズチベット」や「クンドゥン」へ導き、今度はシッキムへ足を向かわせました。とはいえこの導きはすでに、初めてダージリンへ行った時に始まっていたかもしれません。そんなお話は、次回以降の旅行記で綴ります。
旅の準備
パスポート
出張PCR検査
ワクチンパスポート
飛行機チケット
◉服装
9月のお彼岸前から、日本の1月〜2月までの準備をしました。
脱ぎ着しやすい玉ねぎスタイルです。
靴はスニーカー。
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