陽はすでにカンジス川から

こんにちは、Yukettaです。夫の駐在に帯同して参りました。 危険情報や感染病情報は海外安全ホームページにお任せして、こちらでは楽しいインドの生活日記や様子をお届けしたいです。

Yukettaのシッキム・ダージリン紀行⑭蒸気モクモク・ヒマラヤ登山鉄道

最終日、二番目のイベントは「トイトレインに乗ろう!」です。

ダージリン・ヒマラヤ鉄道
アジア最古の登山鉄道、「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」。蒸気機関車は、イギリスのグラスゴー製で、線路は1881年開通。
コロナ禍でずっと運行停止をしていましたが、9月1日から運行再開されました。



駅でわんちゃんがお出迎え。
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人との距離がなんとも。
人々は、普通に線路を横切ります。
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準備中機関車の蒸気もくもく。

機関車ってなんで見ているだけで、こんなにワクワクするのだろう。小さなトイトレインなのに、「主役な乗り物感」が半端ないです。
さあ、もうすぐ汽車がやってきますよ!
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車内の様子
車内は40席ほど。
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席が決まっているのに、殆どの人が適当に、いや、座りたい場所に座り、少数派の真面目な人々(私たちも含む)が、座るべき席に行ってくださいと彼らに間違いを指摘します。早く退いて欲しい人と、状況が掴めないのか表情を変えずに座り続ける人とのジリジリした心理攻防戦。恐らく多言語国の問題もあると思います。その上インスタ映えを狙って、小さな昇降口で、ポーズを何度も何度も何度もとっている若者もいます。既に彼らから負のテンションをもらって入ってきた人でいっぱいの狭い車内は、ものすご〜く、密密密密密密&大・大・大・大カオス。しかし、5分もするとそれもおさまりました。
インドです。


車窓から
みんな大好き、機関車。

トイトレインはゆっくり自転車くらいの速度。時折見かける子どもの汽車を見上げる顔が可愛い。もの凄い音量の汽笛と、汽車のゴトゴト加減が、まるで能舞台の御囃子のようでした。
汽車ってホント、劇場的。だから映画にも使われやすいのだろうナ。ホラ、鬼滅の刃もそう。
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この写真の彼は、バイクで先回りし、ポイント毎に、彼女を撮っていました。色んな愛の形があります💝。


バタシア・ループの駅で10分停車
機関車って、生きてるってかんじ。これもまた文明開花の音だったのだろうナ。

登山鉄道、バタシア・ループ駅で10分ほど停車。みなさん降車し写真を撮りまくる。
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グルカ兵の慰霊碑も建てられています。
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グルカ兵をサクッと検索するだけで、印・英・緬の近現代史がみえてきます。

知らないことばっかりだナ、私。


10分経つ前に、車内に戻る私たち夫婦。一方、「もうすぐ、出発しますよう~」の笛を何度吹いても、楽しく写真を撮り続けるのはインド人です。この人タチ、電車に乗り遅れる恐怖って経験したことないんだろうナア。
そして、結局間に合ってしまう、というか、待たされても、好き勝手にしたいことをしていた人を置いて行かないインド。
「真面目な私たちって、ソンだね。」
と夫婦で笑う。というと、よっぽど心にゆとりのあるヒト達に見えますが、インド人にブチ切れ怒鳴りまくりの前科を夫婦共々持ってます。前の本帰国後、インド生活モードが抜けなかった私は、母の主治医と病院の不実にぶち切れ全開をやってしまい、母に
「お姉ちゃんが怖くなってインドから帰って来た。」
と、泣かれてしまいました。守ったつもりが恥をかかせていたのか…。タガの外れた怒りは結局自分に帰ってくる。苦い思い出です。
現在は…きっと怒る体力がないのだと自嘲しています。


 
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隔離明け/隔離中アレコレ

先日、ついに隔離が開けました。隔離中はMySOSというアプリに管理されていました。相手がAIなので、前回ほどのストレスは感じませんでした。
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ピーン♪とお知らせ音が入り、そのあとビデオ通話がかかってきます。
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時間帯はこんな感じ。
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この枠の中に顔を写します。

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大抵、よそ見しながら自分の仕事をしていました。


隔離明けの日に↓が送られてきました。
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さようなら~。



シッキム風焼きごはん

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新作だよ!
時間があるので、宅配してもらえる食材とインドから持ってきた食材を使ってアレコレ実験お料理~♪。
シッキムの干した納豆(キネマ)、乾燥青菜(グンドゥルック)を使って。ミャンマーのシャン州料理を出すお店、シャンヨーヤーの、納豆卵焼きごはんの味の記憶を頼りにシッキム食材を使ってみました。
イケます。
グンドゥルックは戻してからトマト、チリをベースに炒め煮にするのですが、チョイと面倒。しかし、一度作りおくと、こうして焼きごはんや、和え物、サラダのトッピング、お弁当の付け合わせ、そして酒のアテになる。グンドゥルック、ますます、好きになりました。シッキムやダージリンでもっと買えばヨカッタ☺️。

インド本
『インド残酷物語 世界一たくましい民』
自宅隔離中幾つか読んだ中で、すごく辛いのに「やめられない、止まらない」状態になり、完徹してしまった本。
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第一刷が今年11月なので、旧不可触民(彼らは自らをダリトと言うらしい)について、消える女性たちについて、また彼らを支えるNGOについて書かれた、一等新しい情報の一つ。前世紀からがんじがらめになったまま延々と続くインドの身分制度からくるカオスの現在を一冊に。これは大変なお仕事でしたでしょうと推察しますが、分かりやすい文体で、スイスイ読むことができました。カースト制についても、私たちがよく知るピラミッド型ではない捉え方の説明がありました。これにより、住んでからはじめて感じるインドのカーストの理解し難いごちゃごちゃ感が、私の頭の中で少し整理されました(ドアを開けた入り口から、少しだけ光が入った状態)。
虐げられる人々の悲しさ、ユーモア。そして彼らには、敵わないナアと感じる逞しさがある。
著者の池亀彩氏は、今年10月の時点で、コロナ後に来印できていないとのこと。コロナ禍でのダリトさんたちが、どのようにこの時期を過ごしたのか?是非とも、次回作を待ちたいです。


文春オンラインの、この本の抜粋を貼っておきます。このエピソードだけでも衝撃的ですが、他のお話も知っておいて良かったと私は思いました。ご興味がある方は是非。




新作料理も読書もそうですが、日頃出来ないアレコレをしていたら、隔離期間はあっという間でした。
さぁ、外出するぞー!
カレンダーは予約・予定でぎっしり☺️

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Yukettaのシッキム・ダージリン紀行⑬ウィンダメア朝食とダージリン土産

ウィンダメアの朝食
何故かここの麦粥が好きで好きで、おかわりしてしまう。くどいようですが、ウィンダメアのアフターヌーンティーは、昔の面影が全くなくなって寂しい限りですが、このお粥が変わりなくて本当に嬉しかったです。
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ウィンダメアへの思い
ウィンダメアはかつて王族、貴族、外交官が利用した施設。現代はそこに背伸びしすぎない価格で宿泊できます。それは本当に素晴らしい事です。
デリーに帰ってから、ダージリン出身のお手伝いさんが、当たり前のように、ウィンダメアは、よかったでしょう、と、にこにこ言いました。彼女に、質が落ちたとはとても言えませんでした。私だって故郷の老舗宿ホテルの質が落ちましたと外人に言われたら切ない。ウィンダメアはその存在がダージリンの人の誇りでもあると思います。どうか、かつての英国スタイルを守ったアフターヌーンティーを復活させてください…もうこれは願いでなく、祈りです。
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お手伝いさんへのお土産
ウィンダメアを後にし、この日のメインイベント登山鉄道へ。
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私は、駅の土産物屋で、ダージリンのグンドゥルック(乾燥青菜)と、キネマ(納豆)を買い、日頃本当によく働いてくださるお手伝いさんのお土産にしました。

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どぶろくも売っています。紅茶だけでなく、ダージリンの食材は、一泊しただけでも、本当に面白いと感じたので、こうしたお土産が観光資源になり、いっそう広まっていくといいですね。
ダージリンのグンドゥルック↓
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レジの後ろには、歴史的な宗教者の絵。しかし、ヒンドゥと、ムスリムは無い。
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帰宅して翌日、お手伝いさんに、グンドゥルックと、キネマを渡したら、真面目な顔が綻び、キネマを手にして、これが好きだと言い、何度か匂っていました。本当に好きなんだね。ああ、私たちって大豆の発酵香でこんなに幸せになってしまう。東アジア人なんだねぇ☺️。今度納豆を作ったら、お手伝いさんにお裾分けしようかナ。


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Yukettaのシッキム・ダージリン紀行⑫御来光とカンチェンジュンガ


御来光を浴びるカンチェンジュンガ
朝4時30分に出発し、タイガーヒルへ。
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まだ月がでていました。
ここから、御来光を浴びるカンチェンジュンガを仰ぎます。


日本で御来光を待つ時と違い、賑やかにしている周りのインド人が、更なる歓声を上げると共に、雲がすうっと払われ、カンチェンジュンガが姿を現しました。
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振り向くと、輝く朝日。
なんておめでたい場所だろう。
残念ながら、エベレストは見られず。しかし、これが見られて、幸運だよと、周りの人に言われました。


ここには、23年前に母を連れて来ています。私の母は晴れ女で、自分の葬式まで、台風一過の大晴天にしてしまう人でした。母が一緒だったこの時は、ぐるっと一帯雲も無く、エベレストが神さまの住まいのように、ポカっと一段高い位置に鎮座していました。元祖山ガールの母に、夫は良く尽くしてくれ、私は彼のおかげで親孝行させてもらいました。
あの頃より、御来光を望む人々は激増。タイガーヒルへの道のりも、車が増えたために時間がかかりました。コロナ後は、さらに人が増えるでしょう。
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早朝マラソン大会
宿に戻る途中、マラソン大会の子どもたちに遭遇。
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まだ朝食前の時間です。
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元気っ子だなぁ。オバハンは年寄りだから、涙が出てくるよ。
こんな標高の高い場所で早朝持久走していたら、いずれすんごい選手が出てくるね。ラダックもそうだけど、北インドの山岳地帯はエチオピア並みかそれ以上の標高。彼らの生真面目さは、きっと持久走に向いているのではないかしら。ダージリン出身の金メダル選手、いつかTVで目にする日が来るのだろうか。おばあさんになった私は、テレビの前で、旗を振ってオーイオイ泣いちゃうと思う。
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愛され奥さん

昨日、ウィンダメアで湯船を使う喜びを綴った時に、思い出したエピソードがありました。そこで今日は旅記録はお休み。2000年前後、デリー冬、私がこれまで生きてきた中で一番、ご主人に大切にされているなあと感激した女性とそのご主人のお話です。

デリーの冬
「デリーの冬は寒いです。」
というと
「え、インドに冬があるんですか?」
と驚かれる事がありますが、寒いです。零下になることは滅多にありませんが、家が、夏に涼しく過ごせるようになっているので、「冷え感」が半端ないのです。2000年当時はエアコンは冷房しかなく、私たちは冬、小さな電気ストーブで過ごしていました。中にはだるま型の石油ストーブを日本から持ってきている人もいて、これは停電に左右されないし、もの凄くあったかいので、重宝されていました。
こんな日々は、温かいお風呂にでも入れると良いのですが、当時のギザ(湯沸かし器)は小さく、足湯程度にしかならなかったのです。


愛され奥さん
そんな冬も最中のある日、あるお宅でのお好み焼きランチ時、毎日底冷えするね〜等の会話をしていた全員が
「ええええっ!」
と言って、手を止めました。それはひとりの奥さんが
「うちは主人がしてくれます、毎日」
と言ったからです。
彼女のご主人は何をしてくれるのか?
それは彼女のために、湯船にお湯を溜めること。もちろん前述の通り、当時のギザだけでは足首程度にしかお湯は溜まりません。しかしなんと、ご主人は、台所で大きな鍋にお湯を沸かし、湯船まで運ぶのです。これを私もやったことがあるのですが、鍋のお湯はガスの口の数だけ沸かしますし、インドの広い家の台所とバスまで何往復もしないと、肩まで浸かる「お風呂」にはなりません。熱湯を運んでいると時には、アチチ、となる事もあります。運ぶ時にお湯が飛び散り、それにツルッとなって、あぶね~💦って事もあります。それを休日だけではなく、仕事のある平日も、奥さんのためにされるというのです。しかも、しかも毎日。
「わあ、私もあなたのご主人のような夫が欲しいワ。」
と誰かが言いました、
うーむ。夫婦って鏡のようなものだから、夫を取り替えたとしても、貴女は彼女のようには愛されないでしょう。と、私は心の中で欲しがり屋さんに対し、シビアになるのでした。

つい最近、夫にその思い出を話したら、彼曰く
 「ご主人は、奥さんがインドに一緒に来てくれて本当に嬉しかったんだよ。」
なるほど。世の夫とは、そういうもんですか。

さて、彼女のご主人はとあるメーカーの、当時、その会社の事務所をインドで立ち上げた方でした。確かに、前任者がいない外国(しかもインド)で仕事を始めるのは大変ですが、そこに帯同するのも大変です。同じ会社の同僚、若しくは上司・部下の関係なら、申し送りもできるでしょう。しかしはじめの一歩をする人はそれがないのです。当時のインド情報は大抵書物から。インターネットはボチボチ、ケータイはある、しかしSNSはない時代です。日本人会の婦人部はありました。婦人部では、日本人会の存在を知らない帯同家族がいないか、網を張り巡らせ、見つかると訪問し、何か困った事はないか、あるいは婦人部が持っている情報をそうした方と共有する活動をしていました。しかし、その出会いがあるまで、ネットのない世界でたった一人でインド社会に向き合うのです。駐在する人はポストが準備されていますが、帯同する妻は、そのポスト探しから始めなくてはいけません。始めはまさに暗闇を手探りといった具合の生活だったでしょう。既に就職されたお嬢さんがいらっしゃる年代のご夫婦でした。それまで日本で続けて来られた活動もあったでしょうに、それをきっぱり切りをつけての初めての海外駐在帯同。彼女にとっても大決断だったと思います。

その彼女には、料理のお出汁に化学調味料を一切使わないというこだわりがありました。インドでこれを貫くのは簡単ではありませんが、ご主人の口にそうしたものを絶対に入れないというのは、彼女の愛情と誇りでもあったのでしょう。彼女は駐在中それを成しました。日印往復は直行便ではなく、トランジット。送付制度のない会社だったので、一時帰国の度に、トランクをいりこや鰹節お昆布でいっぱいにしてインド入り。彼女の作る、いりこのお味噌汁にご主人はどれだけ力をもらったろう。
 そして関西出身の彼女は、私たち若手に、苦労して運んだ鰹節がふわふわと踊り、おたふくソースやキューピーマヨネーズを惜しげもなく使ったお好み焼きをご馳走してくださるのでした。そうです、前述のお好み焼きランチは彼女のお宅で開かれたものでした。
彼女がご主人と、ご主人の会社に不満を漏らすのを聞いたことがなく、むしろ
「主人は私がしたいことをさせてくれる」
と仰っていました。実は、ご主人は彼女が日本で切りをつけた活動が、本帰国後に再開できるように、親身になって協力されていたのです。


今私が当時の彼女と同じくらいの年齢になって見えてくるのは、ご主人は彼女が日本人社会の中で、誇りを持って生き生きするために、そして彼女を守るために出来ることは全てされていたのだという事です。それに気づくとご主人の深い愛情を感じ、「旦那さんに大切にされている奥さん」って良いものだなあとしみじみします(逆は悲しくてツライ)。そして彼女は卑屈になる事なく、それをがっちり受け止め、いつも堂々としていました。インドにいると、ここにいる事で絆を深めた日本人カップルをよく見ますが、後にも先にも彼女とご主人ほどのことはありません。

昨日、彼女に電話してみました。コロナ禍でも、ご夫婦共にお声にハリがあり、ご健在で本当に嬉しくなりました。夫婦で元気に長生きって、やっぱりお互いの支え合いの持続があるからこそ出来るのだと思うのでした。




自宅隔離もあと少し!
↓ポチりました。
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たためるから持ち運びもしやすそう!
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便利はどんどん進化する。
隔離運動不足、前回よりはマシかナ。


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プロフィール

Yuketta

こんにちはYukettaです。回り回って最初の駐在地ニューデリーに戻って参りました。4コマ漫画のように、最後はクスッと笑ってしまう日々を与えてくれるインドが大好きです。大変化を遂げたこの大都市と初めて出会った場所のつもりで向き合っていきたいです。

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