バイバイ、カンチェンジュンガ
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気高い佇まいのヒマラヤ山脈。母との思い出も道連れ、いい日旅立ちだったナア。親孝行も少しはできていたのかナ、ワタシ。刺さっていた棘がまた一つ取れました。


今回は、色々閉まっているかもしれないけど、「とにかく動ける時は動ける場所で動こう旅」だったので、二泊三日という短い日程にたくさん詰め込んでしまいました。肺洗いは充分できて、気持ちよかったけれど、連日3時起きで、お爺さんとお婆さんは疲れました。

いつか、本来の、ゆったり山の旅で、お天気のご機嫌を伺いながらのんびりと過ごしたい…
…御来光・朝食の後は朝寝、昼食後は昼寝、カンチェンジュンガを目の前に読書三昧、ポカポカ湯たんぽ入りベッドの中で読書寝落ち、あとは、朝市、散策、ふらり食べ歩き…とかネ。

ネパール文化
アフリカに住んでいた時、モザンビークの若い女性が、
「アフリカは西洋人によってケーキのように分けられ、私はポルトガル語、コンゴはフランス語、南アフリカは英語と、別々の言葉を話すけど、実はバントゥというもので私たちは繋がっている」
と教えてくださり、そこにいるアフリカ女性がみんな、そう、そう、と頷いたのを見て、身震いした経験がありました。

また、南アフリカには、黒人初の大統領マンデラさんの前に、日本で言えば幕末の志士・坂本龍馬のように、志半ばで、アパルトヘイト抵抗運動の先駆けとして散った人々が大勢います。その代表がビコという男性で、彼は黒人の精神的な支柱。そして、彼のフルネームが「バントゥー・スティーブ・ビコ」なのです。

前述の女性の話を思い出すと「バントゥー」という彼の名前が、黒人達の魂をいかに震え立たせたかが、想像できます。彼の人生は映画になっていて、この映画の黒人たちが歌う「コシシケレリ・アフリカ」が圧巻です。




前置きが長くなりました。
今回、このシッキム・ダージリンに来て、私は、この「バントゥー」の話を思い出したのです。ラダックも、シッキムも、ダージリンも、また、デリーのチベッタンコロニーも、同じ何かを感じる!
似たような顔をした人々のベースに流れている「バントゥー」のような、何かがある!!
それはなんだろう?
その思い、問いかけを、最後の日、空港に向かう途中、バントゥーの話も含めてガイドさんにしてみました。
すると即答で、
「ネパール。」

「あああっ!!」
と、夫婦で頷くのでした。
帰宅して、調べるとネパール語は、パハール語群で、話されるのは、ネパール、インド、パキスタン、チベット。ここに歴史と宗教が絡んでくる背景がみえてくると、鳥肌がたちます。

となると、この近隣諸国、ネパール、ブータンにも、行きたいし、インド国内で言えば、ウッタラーカンド州やヒマーチャル・プラディ州に行きたくなってきます。そしてそこでは、きっと新しい発見に出会えると思う。もう、もうゾクゾクです。

私は、コロナ2年説オシなので、来年はイケると睨んでいます。
希望を持って年越ししよう!

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