勉強する前に、誰に促されるのでもなく、冷たい床の上にカーペットをひき、自主的に自分たちの勉強する部屋の準備をする女の子たち。

ムスカーンスクールは、スラムのアフタースクール。女の子達の教育向上のための塾のようなスクールです。
自分が生理痛に苦労したから、カーペットから伝わる冷たい床の上に女の子が座ることに胸が痛む。女の子たちは何も気にしてない様子でいつも元気ですが。
さて、女の子たちは、来週から試験期間に入るので、そのために勉強を強化しています。先日、少し早くスクールに到着したボラ友さんと教室に入ると、前の時間のクラスが続行されており、クラスの1,2年生くらいの女の子がノート1ページにぎっしり「sparrow 」と書いていました。ここで英語の先生をしているボラ友さんが、インドの英語教育に疑問。曰く、
「こんなことをしていて、話せるようになるの?英語はコミュニケーションが大切なのに。」
因みに「sparrow」を書かせている少女の雰囲気を残した女性の先生は、私たちと英語のコミュニケーションは殆どとれません。
私は40〜50年前の日本の公立の学校だったから、話せるようにならない英語授業の状況がよくわかります。もしかして、インドの公立小学校の子どもたちも、私が中学校時代に受けたような、「点を取るだけの、話せるようにならない」授業を受けているのかしら。
「一度公立の学校を見学してみたいね。」
と、ボラ友さんと話しました。
インド人の英語力の格差。それは親の経済力の格差がそのまま英語力にも現れるように私は感じます。これは日本と同じです。アフタースクールにはマネはするが意味を理解していない、そう、ヘレン・ケラーが、水がwaterだと認識する前の状態の子がほとんどです。そんな中、20人に1人くらい英語を解する子がいる。こういうのを才能と言うのでしょう。こうした子が、頭をコクコクさせながら「sparrow 」を書き続ける事に、英語が苦手な私でさえ胸が痛みます。いや、帯同生活で語学には苦労し、海外に出てから、
「ああ、学生の時にこんな語学授業を受けたかった。」
と、何度も感じたからかえって思うところがあるのでしょう。
女の子たちがそうして、同じ言葉を何十も書いている時間に、裕福なおうちの子は何百も別の言葉を、会話の中で学んでいるだろうに…。
とはいえそんな切なさも偽善的な杞憂でしかないのもよくわかっています。
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