久々過去投稿☺️。
ディフェンスに住むお友だちに、
「ユウコ、あなたの家の近くのリーズナブルな八百屋やお店を教えて!」
と言われ、ヨシキタ😍とお気に入りの花屋で待ち合わせ。
ほんの3、4軒、近所の普段使いのお店を紹介するだけなのに、花屋に最初にやってきたドイツの方に、
「買い物が終わったらウチに来てね」
と言われ、お宅でランチをご馳走になってしまいました。

案内後、静かに整ったお宅で絶妙な温かさのキッシュを頂きながら、
「あっ、これは、ちょうど良いタイミングでランチができるよう、朝早くから逆算して準備してくださったのだなあ」
と思ったら、胸熱。
デリーで食べた中で一番美味しいキッシュと、プロ級ババロアでした。

全てが母国のようには揃わない海外の家で、そこにある「今できる全て」でもてなされる「お金では解決できないナニカ」にジーン。

また、私はエーゴの雑談が苦手(できない😭)なので、大勢の中のパーティよりも、3、4人でのごく内輪な(悪口ではない😅)お話しがゆっくりできると嬉しいのです。
帯同生活はビジネスではないから、「お金で得られない情報、智恵、会話、知識」を使って私たちは交流します。手作り料理もお菓子もその交流のための手段の一つ。
それを、
「昔の方式」
「今の人はそういうのしない」
と直接耳打ちされ、批判されたこともあるけど、私は昔のやり方がほっとするのです。底辺にあるのは見知らぬ土地で縁あって知り合った人への思いやり。だから、招いてくれたその家の女あるじが、なんの報酬も求めず、ただただ好意で彼女の時間を割いてくれた事に心を動かされるのです。
遊学時代にも「普段のお食事」をよくご馳走になりました。家が片付いていてもいなくても、夫婦喧嘩中でも関係なく
「食べていきなさい」
と、パスタを目の前で茹で、冷蔵庫の食材や食料ストックを使って、その日にそこにアルもんでできる最高に美味しいパスタをご馳走になる。
アツアツパスタからは
「私たちは君のことが大好きだよ」
が伝わります。
勉強は孤独なものだけど、湯気が立ち昇るお皿とその先にいる人の存在が、この国で私はひとりぼっちではないと信じられるのです。
色んなお付き合いがありましたが、最終章に入った今、マイノリティに属さなくても、数は少なくても良いからビジネスライクでないお付き合いを育てていきたいなぁって思っています☺️。
そうした友情が一番長くつづくから。
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