陽はすでにカンジス川から

こんにちは、Yukettaです。夫の駐在に帯同して参りました。 危険情報や感染病情報は海外安全ホームページにお任せして、こちらでは楽しいインドの生活日記や様子をお届けしたいです。

20年前の思い出

久々アーユルヴェーダ

久しぶりにデリーの、カイラリアーユルヴェーディックセンターへ。
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初インドの27年前に経験して大好きになったアーユルヴェーダマッサージ。当時はアヴィヤンガ+シローダーラで安いところだと、2500ルピーくらいだったかな。その中でカイラリは高級店でした。カイラリの他にも、生理の痛みが軽減されるので気に入って毎月通っていたところがあるのだけど、今はもうそこは存在しません。

2000年頃、グルガオンの街ができる前に、土地開発でカイラリの店が移転してしまったのだけど2021年にデリーに来た時は、何故か店が元の場所に戻っていて感激しました。
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お店へのアプローチでインドっぽいガタガタ道を通るところも、初めての運転手さんが必ずこのガタガタ道に入るのを違えるところも同じ。
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そしてコロナ後、昔の雰囲気を壊さずにリノベーションされました。
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マッサージのメソードは昔と同じ。
「変わらない」
って大事だ。キラキラのビューティーサロンには無い老舗の凄み。


旅行や短期語学留学の方にアーユルヴェーダ体験をしたい尋ねられると、ここを勧めています(住んでいる方は別の場所)。
ここのマッサージが
「よかったです!」
と喜んでお礼を言ってくれる人は100パーセントインドが好き。紹介してよかったなぁと嬉しくなります。
逆に紹介しても音沙汰なしの方には
「ダメだったか💦。
しかしまぁ、人はそれぞれ。
それもインド経験だな。」
と、思います。マッサージ文化そのもの以外のインド悪口を聞きたく無いので、音沙汰無し関係自然消滅もまた良しです。
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懐かしの食器屋さん、それは…!


サントゥシティ。


グルガオンのビル群がまだなかった1990年代後半頃、デリー唯一の憩いの場所だったサントゥシティ。
帯同してきたばかりの奥さまをお連れすると
「つらい時はここにきます。」
「ここ(デリー)で私、やっていけそうな気がします。」
と決然とした目と共に言われたサントゥシティ。
いつでも美味しいダージリンティーが飲めたお店、あれはSan-chaだったのだろうか。

私も御多分に洩れず、初めて連れてきてもらった日はじわっと感動。ギラギラした原色がない、きっかりと刈られた芝生の緑と白い建物と水色の空、そうサントゥシティが醸す色彩に癒されたのです。

さて、その中に帯同してきた奥さまたちに大人気の食器屋さんがありました。
その時は「インドのジャイプール焼きの手法を使った食器」と説明を受けたのですが、何が良いって全くジャイプールセンス皆無なところで、そこにすごく癒されたのです。

例えば沢山ある和食器の中に、たまにジャイプール焼き食器があったら、エスニックな感じがとても良いのですが、いく店、いく店毎日毎日毎日全部エスニック柄の食器だと、朝昼晩毎日マサラとカリー食といったのと同じつらさがあったのです。

当時日本はもちろん、欧米からやってきた店が殆どないインドエスニックカラーの日常に、突然全く違った色彩。それは癒しでしかないのでした。
そのお店にあるのは、本当に明るいデザインばかりで、行くたびに
「わぁ、可愛い~♪」
となり、その感激がちょっとしたセルフ心理カウンセリングタイムとなり、全部欲しくなるのでした。しかし初インド後も引っ越し人生が予測されたのでペアカップを一組だけ、思い出として買いました。

そのカップが⬇︎この写真です。
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当時インドっぽくないカップでコーヒーを飲みたい気持ちが強かった😆

今、渡航準備と老後生活準備を並行してやっているのですが、整理中荷物から出てきたのです。

そしてそのカップを裏返すと‼︎

Good Earth の文字が!
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当時、このお茶碗の裏で包丁研ぎもした。
包丁研ぎには誠に良いザラザラ感😆😆

初インド時代にGood Earthを購入していただなんて、この25年間、全く気がつきませんでした。
ネットで調べるとGood Earthの立ち上げはサントゥシティ1990年代とでてきます。 

サントゥシティにあったあの可愛い食器屋さん。
日本の女性みんなが大好きで「癒される~🥹」と話していた食器屋さん。
Good Earthだったんですね~。
翌1997年が私たち夫婦の初インド。



写真からわかる通り、当時のGood Earthは今ほど洗練はされておらず、でも心がぽかぽかあたたかくなるようなデザインばかりでした。
ああ、やっぱりもっと買っておけばよかった😅。インドで「これ好き」と思ったら迷いなく買った方が良い例でした。

現在のgood earth は高級店が揃うカーンマーケットに。果てしなく大きな会社になり、あの頃とは違った雰囲気ですが、癒やしの場所を醸しています。3度目の今度こそ、あの頃あんなにも欲しかったお皿を買おう✊。金色が入っていないのが良いナア✨。



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お手伝いさん考②

「衣食足りて礼節を知る。」

夫ともよく話すのですが、お手伝いさんもある程度の経済基盤がない人とは、欠勤や遅刻、盗み等がいけないと言うレベルの話が出来ません。それは英語で意思疎通が取れるか以前の問題です。

そして、キチンとしてそうな人が来てくれて、上手く関係が築けるようになったとしても、裏切られることはある。
私の初駐在時1990年代後半、駐在国数国のベテラン奥様が、1人のチョキダール(ガードマン)を見込んでコックとして雇いました。インドにはチョキダールとして生きるより、コックとして生きる方が将来が、明るい現実があるからです。彼に丁寧に手を石鹸で洗うことから指導し、和食を基本から教え、和食が作れるコックとして自分がインドを去ったあともずっと働けるよう、充分なお給料を払いながら大事に育てたのです。しかし、彼はある日突然逃げてしまいました。

メイドの裏切り。それは、「この人」と信じ尽くしてきた伴侶を裏切る夫或いは妻たちの理不さ、不条理に似ている。こちらに落ち度はなく、あちら側に事情があり、彼らに倫理が通じないのも同じです。だからそれは本当に悲しい。

かく言う私も、何人ものお手伝いさんと上手くいかなかったです。初めてのメイドに思いっきり舐められ辞められてしまった時は、それまで、完全無菌パック平和国世界しか知らなかったので非常に傷ついたし、自分を情けなく思い、
「メイドさんをコントロールできない女主人である事」 
を恥ずかしく思いました。また、狭い日本人社会人の中で
「お手伝さんと上手くいかなかったYukettaさん」
「お手伝いに逃げられたYuketta さん」
と、話題に上がっているんだろうなあ想像するのは(しなくても良いのに、何故かそう考えてしまう😅)イヤなものでした。  

しかし、上記の奥さまがこの体験談をさらりと話して
「Yukettaちゃん、そんなもんよ」
と慰めてくれました。お手伝いさんに慣れている奥さんでさえ裏切られることがある事実は、人を個人で雇うことがいかに難しい事柄かを理解するのと、自分の落ち度探しをしない事に役立ちました。

また、
「この人変だよな…」
と思いつつ雇い続け悶々としていたのに、その後痛い目にあったこともあります。また、前任者から引き継いだお手伝さん逃げられ事もありましたが、その頃はもう色んなお手伝いさん体験かあった後だったので「Yukettaちゃん、そんなもんよ。」の意味がわかるようになっていたので、チリの量ほども傷付きませんでした。

そうですね~、お手伝いさんとのちょうど良い距離感がようよう測れるようになったのは、駐在2つ目の国の後半くらいでした。またそれまでの間に、日本人だけでなく他の国の人のお手伝いさんとの付き合い方を知るのも参考になりました。取り分け、白い人たちの、「Be Kindに振る舞ってもドライさを失わない姿勢」は凄いなと思います。それこそ、「理解するのではなく慣れる」の世界ですが😅。

もちろん
「お手伝いさんを雇わない」
という選択肢もあるし、私も雇わない時期がありました。そして、それには家の中に他人が入ってこない気楽さがありました。
でも!!
「インド生活はやっぱりお手伝いさんがいた方が、より良い、クオリティが高い暮らしができる」
というのが私の結論です。
相性の良いお手伝いさんに出会えた暁には、家事を任せらる事で、仕事や新しい出会い、または自分育て時間に没頭できる。

忍耐は要りますが、自分に合ったお手伝いさんに出会うまで、辛抱強くトライアルを続けることを私はお勧めします。
そして、そんなふうに出会ったとしても、頭の片隅に、「裏切られる事はある」とインプットし、心にはクッションを置き、落ちた気持ちを再びバウンドさせる為の準備をしておくのも大切なポイントです。


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お役所


百日紅が太陽に向かって生き生きと。
日本は真夏です。
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昨日は、次に踏み出す為に、まずは本帰国処理に行きました。


マイナンバー
マイナンバーって皆さんどうしてますか?
私は 
・マイナンバーが始まった年にいったん取得して、 
・帯同で住民票が抜ける時にマイナンバーも抜けることになり 
・しかし、コロナ時に日本に帰国させられ、其の後、留め置かれたのでまた取得し、
・インドに再び旅立つ前にまた抜け、
・2024年にマイナンバーが海外在住でも継続できることになったので、大使館を通してまた取得、しかし所在地は空欄、
・そして昨日本帰国で、住民票再取得と共に、マイナンバーの空欄だった所在地を埋めてもらいました

のような作業をもうしなくても良い、ずっと同じカードを役所に行かなくても持っていられるのがマイナンバーと思っていたし、正直になんでも申告するから、これからはそうであって欲しいです🥹。
他の手続きもあったので、役所の滞在時間はおよそ3時間半。親が亡くなった時の手続きでさえこんなにもかからなかったなあ。マイナンバーが「良く」使われるようになったらこうした時間も短縮されると信じたい。とはいえ、役所ゅ窓口の男性は親切丁寧適確。だから窓口で働く人々への不満はありません。それに、ただでさえお役所書類は忍耐が要るのに、日本語で対応していただけるってありがたい。しみじみ、
「日本って、ラク〜♪」
と思いました。

お役所
そうそうヨーロッパの幾つかの国だと、最近は滞在許可証(Frroみたいなの)取得時に、会社もご主人も助けに入れず、帯同奥さまでもいきなりB2(中上級)の語学力で、たった一人で役所での処理をしなくてはいけないと、SNSで話題になっていました。バリバリ個人主義の国で、エーゴぢゃない言語の中上級って😭。白い人たちって厳しい。彼らの歴史がそうさせるのか。因みに私の最初の帯同生活は、25年前のインドだったけど、役所処理は金色のボールペンを持った(わかる人にはわかる☺️)ローカルスタッフさんが助けてくれたなあ。各国の大使館でビザ取りの人の長い列を見るたび、 
「自分は恵まれている。」
と思ったものです。


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キムチ鍋で体温調節


Gungのキムチで、キムチ鍋~♪。
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2月後半、気温が上がってきたところで、ここ数日雨曇り。暑いのか寒いのか、身体が困っている気かするので、あったかいものを。

2000年くらいに、デリーに初めて韓国料理屋さんができた時は嬉しかったなぁ。それまでキムチはキムチの素でも作っていたけど、インドよりもハードシップの高い国の経験がある、とある積極的な奥さまが、デリーの韓国人と交流して、韓国人から伝授されたレシピを教える教室を開いてくれました。その参加料はボランティア資金へ。若手の奥さんたちは、キムチが自分で作れるようになり、あっちもこっちもWin Win。地味な助け合いだったけど、インドにある材料を使って、自分でキムチが作れることが、開眼でした。その奥さまによく、
「Yukettaちゃん、JALが飛んでくれる国で、文句を言っていては、ダメよ。」
と、優しく諭されました。その後日本の飛行機が飛ばない国でも暮らしましたが、この先輩奥さまのおかげで、現地にあるもので、なんでも作るようになりました。初駐在の経験って大事です。しかし、こうしたスキルは帰国後の再就職には全く役立たない😅。安くて日本人の舌に合わせたキムチ、簡単に手に入るもんね。
なんだか虚し〜😅😅。
ただ、思い出だけは美しく💝。




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プロフィール

Yuketta

こんにちはYukettaです。回り回って最初の駐在地ニューデリーに戻って参りました。4コマ漫画のように、最後はクスッと笑ってしまう日々を与えてくれるインドが大好きです。大変化を遂げたこの大都市と初めて出会った場所のつもりで向き合っていきたいです。

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