お肉♪。

イタリア文化センターにあるDivaのタリアータ。
昨日もまた同じものを注文してしまった🤗。
旨かった~。
この日はまだバカンスが始まってないイタリアグループ・ボラ友居残り組だけのランチで、ちょっとしたボランティアの会合になり
「インドの偉い人は、外国人に
『あなたたちは豊かなんだから、貧しい人のケアをしてください。』
って言う。
そのことは心から協力したいと思うけど、
インドの大金持ちはそこに着手してないよね。
外国人には厳しいあらゆる規則からフリーでいるはずなのに‼︎」
という話から始まりました。その後、ボランティアをする上での外国人であるが故の理不尽さは次から次へと吐露され、話し合いはメニューを注文するのを忘れるくらい盛り上がったのです。
そうなんです!
運転手さんや、お手伝いさんでさえ、ボランティアとなると、
「ホイ来た、ヨシ来た。」
とばかり、快く協力してくれるけど、そうしたホスピタリティを本当のインドの金持ちから感じたことが一度もない。
「インドのお金持ちって、何にもしないよね」
日本のボラ友さんと、何度もこの言葉を口にして項垂れたけれど、他の国にボラ友さんとも同じ怒りを共有できてすごく嬉しい、というか、
「こんなふうに感じていたの、私たちだけじゃなかったんだ!」
という安堵感が近いでしょうか?
私にもっとまともな語学力があったら、こうした思いの共有はもっと早くできたのに!自分の悪い頭と、社交性の無さが恨めしい😭。でも繋がっているのだから頑張ろう。
例えばインドの富裕層を描く物語の、欧米文化にかぶれたヒロインの悩みにも全く共感できないのです。彼らは庶民が知らない犯さない禁忌や快楽を愉しみ、その先で、どうでも良いことで悩んでいる。その憂鬱をステキ、イケてる、若しくはメランコリーなワタシってカワイソウ、とでも言いたいのか?自分好きで自身に酔っているようにしか思えないけど。
まあ、
「どこの国にも、そんなお金持ちはいる!」
と言って仕舞えばそうなのだけど😂。
いつに無く、怒りモードが入ってしまいました。
ただただ、
「持っている人は正しく使って欲しい。」
庶民の願いです。

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