フマーユーン廟へ
先週末に、行ってきました。
二十数年ぶりで私は、殆ど記憶がありません😅。茹だる暑さの朦朧とした記憶の中に、かすかに、星のマークがあった事を、そう言えば…と思い出し…。一方、良人の「そう言えば」は、フマーユーン廟は、タージマハールへ、アテンドする時間のないお客さまをお連れする場所だったことでした。行きの車の中で、老夫婦は、スマホを見ながら、
「ああ、そうだ、そう言えば、そうだった」
の記憶掘り起こし作業をするのでした😅😅。
フマーユーン廟に近づく最後のラウンドアバウト付近は大渋滞。そして入り口は、インド人で混んでいました。

外人は私たち以外は皆無。本格的に観光が始まったら、更なるカオスが予測されます。
「朝イチで来るべきだったね」
と夫婦で話しました。ただし、ネットを見ていると、オープン時間が、朝7時と、朝8時とがあり、これも実体験するか、信頼できるインド人に尋ねないと、本当のことはわからないし、1ヶ月後は更に変化しているだろうなぁと思いました。
フマーユーン廟
フマーユーンさんはここを実質的に建立した、ムガール帝国のアクバル大帝(徳川政権が安定した三代将軍家光と言った位置付けか🤔?)の、お父さんです。 この廟は、のちに五代目君主シャー・ジャハーン(徳川家が繁栄した五代将軍綱吉の位置付けか🤔?)によって建立された、タージ・マハルに影響を与えているといわれています。

さて、チケットも手に入れたし、中に入ってみましょう。

他のイスラム建築と同じで、フマーユーン廟も、建物の持つ、計算され尽くした劇場的演出力が
「半端ナイ!」
です。ただ真っ直ぐ歩いて行くだけで、

最初の門の前では全く見えない玉ねぎ型のクーポラが、
その後更にある門入り口からふっと見え、


さらに歩いて行くと、クーポラが緑や更なる壁と門で見え隠れし、


最終的には、ど、ど、ど、どーん!なのです。



この時代のイスラム文化を
「これでもかっ!」ってくらい見せられ、旅人は、
「参りました‼︎」、となり、且つ、ほぉぉと建物を見上げ、感嘆してしまいます。

SNSに、写真を載せたら、
「お城のようですね。」
というコメントをくださった方がいらしたのですが、確かに!フマーユーン廟は、ムガール帝国王族魂の永遠のお城のようです。
廟の周りには爽やかな風が吹いていました。

デリーは一番良い季節です。

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先週末に、行ってきました。
二十数年ぶりで私は、殆ど記憶がありません😅。茹だる暑さの朦朧とした記憶の中に、かすかに、星のマークがあった事を、そう言えば…と思い出し…。一方、良人の「そう言えば」は、フマーユーン廟は、タージマハールへ、アテンドする時間のないお客さまをお連れする場所だったことでした。行きの車の中で、老夫婦は、スマホを見ながら、
「ああ、そうだ、そう言えば、そうだった」
の記憶掘り起こし作業をするのでした😅😅。
フマーユーン廟に近づく最後のラウンドアバウト付近は大渋滞。そして入り口は、インド人で混んでいました。

外人は私たち以外は皆無。本格的に観光が始まったら、更なるカオスが予測されます。
「朝イチで来るべきだったね」
と夫婦で話しました。ただし、ネットを見ていると、オープン時間が、朝7時と、朝8時とがあり、これも実体験するか、信頼できるインド人に尋ねないと、本当のことはわからないし、1ヶ月後は更に変化しているだろうなぁと思いました。
フマーユーン廟
フマーユーンさんはここを実質的に建立した、ムガール帝国のアクバル大帝(徳川政権が安定した三代将軍家光と言った位置付けか🤔?)の、お父さんです。 この廟は、のちに五代目君主シャー・ジャハーン(徳川家が繁栄した五代将軍綱吉の位置付けか🤔?)によって建立された、タージ・マハルに影響を与えているといわれています。

さて、チケットも手に入れたし、中に入ってみましょう。

他のイスラム建築と同じで、フマーユーン廟も、建物の持つ、計算され尽くした劇場的演出力が
「半端ナイ!」
です。ただ真っ直ぐ歩いて行くだけで、

最初の門の前では全く見えない玉ねぎ型のクーポラが、
その後更にある門入り口からふっと見え、


さらに歩いて行くと、クーポラが緑や更なる壁と門で見え隠れし、


最終的には、ど、ど、ど、どーん!なのです。



この時代のイスラム文化を
「これでもかっ!」ってくらい見せられ、旅人は、
「参りました‼︎」、となり、且つ、ほぉぉと建物を見上げ、感嘆してしまいます。

SNSに、写真を載せたら、
「お城のようですね。」
というコメントをくださった方がいらしたのですが、確かに!フマーユーン廟は、ムガール帝国王族魂の永遠のお城のようです。
廟の周りには爽やかな風が吹いていました。



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