ブッククラブ

バサント・ビハールにあるブッククラブに感化された、デリー在住イタリア女性が立ち上げた、イタリア人グループの1回目に参加。きっと私の語学力では、ついていけないけど、興味があったし、「いっぱい生きたイタリア語が聞ける~♪」と思ったので参加させてもらいました。
話題に上がった作家はAnita Nair、Khushwant Singh、Kiran Desai。全員知らなかった~💦。
数年しかインドにいられないのは他のイタリア人参加者と同じですが、みなさんインドの近現代作家をしっかりチェックし、読んでいる人は深く読んでいる。これまで私は、
「日本人がみたインド」
みたいな本はけっこう読んできました。しかし、
「インド人が書くインド」
は読んでおらず。そうした観点が全く抜けていた自分に気付き、全く持って自分の稚拙で恥ずかしい部分を知る時間となりました。
言い訳になりますが、「母国語が日本語」という大きな問題もあります。
話題に上がった作家のひとり、クシュワント・シン(Khushwant Singh)に至っては、超インターナショナル作家で、数多くの著作があるけど日本語訳は、「首都デリー」のみ。
インド人作家本、あまりにも日本語に訳されていないんですね~🥹。
そんな中でも、話題に上がったひとりキラン・デサイ(Kiran Desai)の2冊の本(うち一冊はブッカー賞)は両方とも日本語訳があります。
「でも2冊ともKindle版はない~、今すぐ読めないじゃん!」
と、私が心の中で愚痴っている隣で、イタリア人女性が、
「2冊とも、イタリア語のKindleで読めるわ。でも紙で読みたいわね~。」
…とまあ、インドで生活しながらインド人が書いたインド読書生活愚痴レベルが1段階違うのでした。
彼女たちの話を聞いていると、欧米の言語がラテン語をベースとしているだけあって、英語からイタリア語に翻訳されたインド作家本は、結構多い。イタリア語訳に比べて、インド人作家日本語訳の数は…少ないです🥲。
これは、日本からインドのステレオタイプ情報がなかなかなくならない原因の一つだろうな。
そのせいかどうか、私がインドで知り合い、親しくなったイタリア人は、インド好きな人がほとんどです。もちろんインドの嫌な部分、嫌いな部分はあるけど、彼女たちには「それはそれ」という棲み分けができていて、インド文化や、愛すべき印度人像を、それらと切り離して語るのです。
イタリア語も英語や中国語、ヒンディー語と比べたら悲しいくらいマイノリティだけど、日本語は更に。しくしく、取り残されてる孤独~、自信無くす~😭。
次回のテーマはAnita NairのLessons in Forgetting。これは日本語訳はありません。
もう絶対無理‼︎絶対ついていけない!!
↑アニータ・ナーイルはケララ出身の作家。
「このような経過が、結局言葉のせいで情報弱者になってしまう原因の分岐点か」
と、最後には自嘲。なんとかせねばならぬな。齧り付く石を見つけねば…。
そこで、映画があるみたいなので、それを観てチートしよっかなぁ、と悪いこと考えています(←エーゴを真面目に読もうとは考えない😅)。
さてどうなることやら。
にほんブログ村







